シューベルト 3つのピアノ曲 全曲の動画集です。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
1828年5月、つまり死の半年前の作品。最期の年のシューベルトの創作意欲はむしろ高まっており、多くの作品が手掛けられた。
この3つのピアノ曲は、三部形式(ダ・カーポ形式)あるいはロンド形式をとり、どれも雰囲気や、テンポ、拍子の変化によってコントラストを形成している。だがそれらの接続部は巧妙な和声進行によって、なめらかに仕上げられている。出版は作曲家の死後40年経った1868年に行われた。
第1番:変ホ長調/短調、アレグロ・アッサイ、2/4拍子。三部形式。両端部分は左手の3連符が嵐のような激しさをみせ、変ホ長調と変ホ短調が入れ替わり現れることによって、不安定感を煽る。それに対する中間部はアンダンテ、ロ長調、2/2拍子に変化し、打って変わった穏やかな音楽となる。なお、この曲は、本来はABACAのロンド形式で書かれたが、後にシューベルト自身によって最後のCA部分が削除された。
第2番:アレグレット、変ホ長調、6/8拍子。ABACAのロンド形式。シューベルト自身のオペラ《フィエラブラス》(1823年)の合唱より引用された晴れやかなロンド主題と、2つのエピソードがコントラストを成す。エピソードは、十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)部分と、変イ短調、2/2拍子の、切々と訴えるような旋律をもつ部分である。
第3番:アレグロ、ハ長調、2/4拍子。三部形式。シンコペーションを特徴とする活発な主題に対し、中間部は変ニ長調、3/2拍子に変わり、同じリズムパターンを繰り返すが、最後は再び冒頭主題で爽快に全体を閉じる。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
日本のピアニスト。ウィーン国立音楽大学に入学し、8年間の課程をわずか3年で終え、弱冠19才にして最優秀の成績で修了。 数々の国際コンクールに優勝・入賞し、コンサートピアニストとしてソロ、アンサンブルとも国際的に活動する。
演奏活動、教育活動とともにヨーロッパの音楽出版社における原典版楽譜の編集作業にも携わるなど幅広い活動を展開し、日本の誇る国際派ピアニストとして内外で高い評価を受けている。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
1828年5月、つまり死の半年前の作品。最期の年のシューベルトの創作意欲はむしろ高まっており、多くの作品が手掛けられた。
この3つのピアノ曲は、三部形式(ダ・カーポ形式)あるいはロンド形式をとり、どれも雰囲気や、テンポ、拍子の変化によってコントラストを形成している。だがそれらの接続部は巧妙な和声進行によって、なめらかに仕上げられている。出版は作曲家の死後40年経った1868年に行われた。
第1番:変ホ長調/短調、アレグロ・アッサイ、2/4拍子。三部形式。両端部分は左手の3連符が嵐のような激しさをみせ、変ホ長調と変ホ短調が入れ替わり現れることによって、不安定感を煽る。それに対する中間部はアンダンテ、ロ長調、2/2拍子に変化し、打って変わった穏やかな音楽となる。なお、この曲は、本来はABACAのロンド形式で書かれたが、後にシューベルト自身によって最後のCA部分が削除された。
第2番:アレグレット、変ホ長調、6/8拍子。ABACAのロンド形式。シューベルト自身のオペラ《フィエラブラス》(1823年)の合唱より引用された晴れやかなロンド主題と、2つのエピソードがコントラストを成す。エピソードは、十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)部分と、変イ短調、2/2拍子の、切々と訴えるような旋律をもつ部分である。
第3番:アレグロ、ハ長調、2/4拍子。三部形式。シンコペーションを特徴とする活発な主題に対し、中間部は変ニ長調、3/2拍子に変わり、同じリズムパターンを繰り返すが、最後は再び冒頭主題で爽快に全体を閉じる。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
イタリアのミラノ出身のピアニスト。1957年、15歳でジュネーブ国際コンクール第2位。1958年の同コンクールで1位なしの第2位。1959年のポッツォーリ・コンクールで優勝。
1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝。審査委員長のが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べ、一躍国際的な名声を勝ち取る。
しかし、その後10年近く、表だった演奏活動から遠ざかっていた。1968年に演奏活動に復帰し、1971年よりドイツ・グラモフォンから録音作品を発売開始。
1828年5月、つまり死の半年前の作品。最期の年のシューベルトの創作意欲はむしろ高まっており、多くの作品が手掛けられた。
この3つのピアノ曲は、三部形式(ダ・カーポ形式)あるいはロンド形式をとり、どれも雰囲気や、テンポ、拍子の変化によってコントラストを形成している。だがそれらの接続部は巧妙な和声進行によって、なめらかに仕上げられている。出版は作曲家の死後40年経った1868年に行われた。
第1番:変ホ長調/短調、アレグロ・アッサイ、2/4拍子。三部形式。両端部分は左手の3連符が嵐のような激しさをみせ、変ホ長調と変ホ短調が入れ替わり現れることによって、不安定感を煽る。それに対する中間部はアンダンテ、ロ長調、2/2拍子に変化し、打って変わった穏やかな音楽となる。なお、この曲は、本来はABACAのロンド形式で書かれたが、後にシューベルト自身によって最後のCA部分が削除された。
第2番:アレグレット、変ホ長調、6/8拍子。ABACAのロンド形式。シューベルト自身のオペラ《フィエラブラス》(1823年)の合唱より引用された晴れやかなロンド主題と、2つのエピソードがコントラストを成す。エピソードは、十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)部分と、変イ短調、2/2拍子の、切々と訴えるような旋律をもつ部分である。
第3番:アレグロ、ハ長調、2/4拍子。三部形式。シンコペーションを特徴とする活発な主題に対し、中間部は変ニ長調、3/2拍子に変わり、同じリズムパターンを繰り返すが、最後は再び冒頭主題で爽快に全体を閉じる。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ドイツのドイツのピアニスト、オルガニスト。作曲も行い、バッハの作品をピアノ小品として編曲したものも残している。
1828年5月、つまり死の半年前の作品。最期の年のシューベルトの創作意欲はむしろ高まっており、多くの作品が手掛けられた。
この3つのピアノ曲は、三部形式(ダ・カーポ形式)あるいはロンド形式をとり、どれも雰囲気や、テンポ、拍子の変化によってコントラストを形成している。だがそれらの接続部は巧妙な和声進行によって、なめらかに仕上げられている。出版は作曲家の死後40年経った1868年に行われた。
第1番:変ホ長調/短調、アレグロ・アッサイ、2/4拍子。三部形式。両端部分は左手の3連符が嵐のような激しさをみせ、変ホ長調と変ホ短調が入れ替わり現れることによって、不安定感を煽る。それに対する中間部はアンダンテ、ロ長調、2/2拍子に変化し、打って変わった穏やかな音楽となる。なお、この曲は、本来はABACAのロンド形式で書かれたが、後にシューベルト自身によって最後のCA部分が削除された。
第2番:アレグレット、変ホ長調、6/8拍子。ABACAのロンド形式。シューベルト自身のオペラ《フィエラブラス》(1823年)の合唱より引用された晴れやかなロンド主題と、2つのエピソードがコントラストを成す。エピソードは、十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)部分と、変イ短調、2/2拍子の、切々と訴えるような旋律をもつ部分である。
第3番:アレグロ、ハ長調、2/4拍子。三部形式。シンコペーションを特徴とする活発な主題に対し、中間部は変ニ長調、3/2拍子に変わり、同じリズムパターンを繰り返すが、最後は再び冒頭主題で爽快に全体を閉じる。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
チェコ出身でクロアチアで育った、オーストリアのピアニスト。1970年フィリップスと専属契約を結び、リリースしたレコードで、その名声を決定づける。 華麗さや派手さはないものの、中庸を行く知的で正統的な解釈で多くの音楽ファンを惹きつけている。ドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としている。ソロ以外では室内楽や歌曲の伴奏でも多くの名演奏を生み出している。2008年12月のコンサートをもって引退した
1828年5月、つまり死の半年前の作品。最期の年のシューベルトの創作意欲はむしろ高まっており、多くの作品が手掛けられた。
この3つのピアノ曲は、三部形式(ダ・カーポ形式)あるいはロンド形式をとり、どれも雰囲気や、テンポ、拍子の変化によってコントラストを形成している。だがそれらの接続部は巧妙な和声進行によって、なめらかに仕上げられている。出版は作曲家の死後40年経った1868年に行われた。
第1番:変ホ長調/短調、アレグロ・アッサイ、2/4拍子。三部形式。両端部分は左手の3連符が嵐のような激しさをみせ、変ホ長調と変ホ短調が入れ替わり現れることによって、不安定感を煽る。それに対する中間部はアンダンテ、ロ長調、2/2拍子に変化し、打って変わった穏やかな音楽となる。なお、この曲は、本来はABACAのロンド形式で書かれたが、後にシューベルト自身によって最後のCA部分が削除された。
第2番:アレグレット、変ホ長調、6/8拍子。ABACAのロンド形式。シューベルト自身のオペラ《フィエラブラス》(1823年)の合唱より引用された晴れやかなロンド主題と、2つのエピソードがコントラストを成す。エピソードは、十六分音符のトレモロを背景とする暗く激しいハ短調(ハ長調)部分と、変イ短調、2/2拍子の、切々と訴えるような旋律をもつ部分である。
第3番:アレグロ、ハ長調、2/4拍子。三部形式。シンコペーションを特徴とする活発な主題に対し、中間部は変ニ長調、3/2拍子に変わり、同じリズムパターンを繰り返すが、最後は再び冒頭主題で爽快に全体を閉じる。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ロシア出身のピアニスト。グネーシン音楽学校(モスクワ)にてエレーナ・イワノヴァに師事。その後、チューリヒ音楽大学に留学し、卒業後に、師である同大学のコンスタンティン・シチェルバコフの助手をつとめた。
2006年、ジュネーヴ国際音楽コンクール、一位なしの第二位。2007年、パデレフスキー国際ピアノコンクール第二位。2008年から、コモ湖国際ピアノアカデミーで学ぶ。
2010年、ショパン国際ピアノコンクール第一位。合わせて、最優秀ソナタ演奏賞も受賞。マルタ・アルゲリッチ以来、45年ぶりの女性ピアニストの優勝者として注目を浴びた。同年の12月に来日し、NHK交響楽団と共演。