シューベルト さすらい人幻想曲 第1楽章の動画集です。
2011年2月11日 王子ホール 第34回ピティナ・ピアノコンペティション 王子ホール賞 受賞披露演奏会
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
1990年静岡県掛川市生まれ。
2018年第10回浜松国際ピアノコンクール第4位及び2016年エリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー・ブリュッセル)にてファイナリスト入賞。その他若い音楽家のためのクライネフ国際ピアノコンクール第2位(ウクライナ・ハリコフ)、全日本学生音楽コンクール高校生の部全国大会第1位、日本音楽コンクール第2位、ピティナ・ピアノコンペティション特級銀賞、東京音楽コンクール第2位をはじめ国内外のコンクールで優勝、入賞。
これまでにマリン・オールソップ指揮ベルギー国立管弦楽団、ポール・メイエ指揮王立ワロン室内管弦楽団、クラウディオ・クルス指揮リベイラン・プレート交響楽団(ブラジル)、クラウディオ・クルス指揮サンパウロ青少年交響楽団、ロッセン・ゲルゴフ指揮読売日本交響楽団、高関健指揮東京交響楽団、本名徹次指揮日本フィルハーモニー交響楽団ほか海外及び国内のオーケストラと共演多数。リサイタルを日本国内及びフランス、ベルギー、ドイツ、ブラジル、アゼルバイジャン、英国にて行う。ブリュッセル・ピアノ・フェスティバルや横浜市招待国際演奏会等の著名な音楽祭に出演。
2008年度(財)ヤマハ音楽振興会音楽支援奨学生
2011年、2014年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生
2013年度宗次エンジェル基金/新進演奏家国内奨学金奨学生
2017年芸術・文化、若い芽を育てる会奨励賞。明治安田クオリティオブライフ奨学金奨学生。
2018年ベルギーショパン協会賞受賞
東京藝術大学附属音楽高等学校を経て東京藝術大学を卒業。2014年9月に英国王立音楽大学修士課程に奨学生として入学し2016年7月に優秀な成績で卒業。2017年3月に東京藝術大学大学院修士課程を卒業修了時に大学院アカンサス音楽賞及び藝大クラヴィーア賞を受賞。ライプツィヒ演劇音楽大学演奏家課程を2020年11月に修了。これまでにピアノを三好のびこ、故堀江孝子、クラウディオ・ソアレス、伊藤恵、ドミトリー・アレクセイエフ、ルーステム・サイトクーロフ、ゲラルド・ファウトの各氏に師事
ピティナ・ピアノ曲辞典より
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
チェコ出身でクロアチアで育った、オーストリアのピアニスト。1970年フィリップスと専属契約を結び、リリースしたレコードで、その名声を決定づける。 華麗さや派手さはないものの、中庸を行く知的で正統的な解釈で多くの音楽ファンを惹きつけている。ドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としている。ソロ以外では室内楽や歌曲の伴奏でも多くの名演奏を生み出している。2008年12月のコンサートをもって引退した
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ロシアのピアニスト。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽大学に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でピアノ協奏曲を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮する。現在若手ピアニストの中では一番の人気と実力を誇る。
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ルーマニア出身のピアニスト。
Franz Schubert (1797-1828) Wanderer Fantasie Op.15 (D760) Maurizio Pollini (piano) 00:00 1st movement 06:22 2nd movement 13:00 3rd movement 17:49 4rd movement My performance order: Julian von Karolyi: 演奏と共に楽譜が見られます。
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
イタリアのミラノ出身のピアニスト。1957年、15歳でジュネーブ国際コンクール第2位。1958年の同コンクールで1位なしの第2位。1959年のポッツォーリ・コンクールで優勝。
1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝。審査委員長のが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べ、一躍国際的な名声を勝ち取る。
しかし、その後10年近く、表だった演奏活動から遠ざかっていた。1968年に演奏活動に復帰し、1971年よりドイツ・グラモフォンから録音作品を発売開始。
Allfred Brendel (1931) plays for the german television the Fantasie in C major, Op. 15 (D. 760), popularly known as the Wanderer Fantasy composed in 1822. *********************************************
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
チェコ出身でクロアチアで育った、オーストリアのピアニスト。1970年フィリップスと専属契約を結び、リリースしたレコードで、その名声を決定づける。 華麗さや派手さはないものの、中庸を行く知的で正統的な解釈で多くの音楽ファンを惹きつけている。ドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としている。ソロ以外では室内楽や歌曲の伴奏でも多くの名演奏を生み出している。2008年12月のコンサートをもって引退した
Part 1 Schubert - Fantasie in C major "Wanderer", Op. 15, D 760 1. Allegro con fuoco ma non troppo Live recording, 195
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
アレクサンドル・スクリャービンの信奉者にしてその演奏様式の継承者であり、その遺児エレーナと結婚した。妻エレナと初めて出逢った時にはスクリャービンは鬼籍に入っていたため、ソフロニツキーは公的にも私的にも、生前に岳父と知り合うことはなかった。しかしながらスクリャービン未亡人ヴェーラによって、スクリャービンの後期作品の最も正統的な演奏家として認められた。ソフロニツキーの演奏は、即興的でニュアンスに富んだ雰囲気と、軽く柔らかいタッチにおいてスクリャービン本人の演奏の特色を受け継いでおり、実際にソフロニツキーによるスクリャービン作品の録音は、比類ない演奏として多くから認められている。他にはショパンにも近親感を感じていたらしい。
Kissin perform at the age of 19, For more beautiful videos, visit www.youtube.com
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ロシアのピアニスト。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽大学に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でピアノ協奏曲を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮する。現在若手ピアニストの中では一番の人気と実力を誇る。
Lang Lang Live in Carnegie Hall Franz Schubert "Wanderer-Fantasie"(Part1)
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
中国遼寧省瀋陽出身のピアニスト。1999年、17歳のとき突破口が訪れる。ラヴィニア音楽祭のガラ・コンサートで、急病の先輩ピアニストの代理として、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲 第1番》を、見事に演奏した。これがシカゴ・トリビューン紙によって、将来の嘱望される何年かに一人の逸材と評価された。2008年8月8日、北京オリンピックの開会式において、中国の作曲家・葉小綱の協奏曲を演奏した。映画『のだめカンタービレ最終楽章』の野田恵役の上野樹里のピアノ演奏をすべて担当している。
さまざまな点で異例の作品である。まず、幻想曲といいながら、その実質は切れ目なく続く4楽章制ソナタに則っているという点。速度表記と調性、拍子の変化によって明確に区切られていることから、シューベルト自身がソナタ風の幻想曲を意図していたと考えられる。
次に、比較的自由な作曲を得意とするシューベルトが、古典的な作品構築に挑んでいる点。この作品では、冒頭の音型によって全体が統一されているのである。そもそも、タイトルの《さすらい人》とは、第2楽章に引用された作曲家本人の同名リートに由来している。第1楽章の主題はその伴奏音型を利用したものであり、決して旋律として優美とはいえない。にもかかわらず、その特徴的なリズムを全曲にわたって生かしている点で例外的なのである。さらに、シューベルトは対位法が苦手なことでも知られているが、第4楽章で敢えてそれを取り入れている点。最後に、家庭音楽としての穏やかな曲想の多いシューベルト作品の中でも、この幻想曲は激しく魅せる部分をもち、かなり高度な技術を要求するという点。作曲家自身ですら弾きこなすことができず、「こんな曲は悪魔にでも弾かせろ」と叫んだエピソードはよく知られている。
このようにシューベルトにとって特殊な作品であるが、しかし彼特有の愛らしい旋律が随所に見られ、得意の和声変化も魅力的に用いられているシューベルトらしい作品でもあるのだ。そして何より、ソナタ風ではあるが、主題が自由に即興的に発展している点で、あくまでも幻想曲であることを忘れてはならないだろう。
第1楽章:アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ、ハ長調、4/4拍子。ソナタ形式だが、再現部が省略されている。これは、楽章ごとに完結せず、全体的な統一を計画しているためだろう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアのヴィーンの作曲家。「歌曲の王」と呼ばれている。
あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽家として高い名声を得た。31歳で夭折。ピアノ独奏曲は大別して、即興曲や幻想曲など自由な形式のキャラクター・ピース、ワルツなどの舞曲、そしてピアノ・ソナタがある。ピアノを用いた室内楽も佳作を残した。また歌曲においては、歌の旋律を和声的に支えるだけの従来の伴奏を脱却し、ピアノ・パートに深い音楽表現を与えて、歌とピアノのアンサンブルとも言える近代的なドイツ・リートを確立した。
シューベルトは、古典派ともロマン派ともその位置を定めがたい。現在のところ、ロマン派と呼ぶよりもヴィーン古典派に含めて語られることのほうが多い。 確かに形式の面では古典を踏襲しているし、ロマン派的な標題をシューベルト自身が器楽曲に付すことはなかった。また、独特の美しい旋律も古典派の語法からかけ離れたものではない。が、たとえばソナタにおいて、対比的な主題や動機労作よりも、和音の響きの微妙な変化そのものを課題とし、遠隔の調の音にあくまでさりげなく到達する手法には、すでにロマン派の音楽世界が開かれている。しかし、これらの作曲家が古典派の形式の伝統に憧憬と尊崇をもって取り組んだのに対して、シューベルトにとってまだそれは異化されない、なかば同時代のものだった。シューベルトのロマン性は、古典的形式と協和音の美しさの奥に隠されている故に、聴くものに緊張感を与えない。まさに、二つの時代の結節点をなす音楽である。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ポーランド出身のピアニスト。「ショパン弾き」と言われるほどショパンの演奏は自然で気品に満ちている。90歳近くまで現役として演奏を続けていたため、録音が残されている。ショパンのイメージが強いが実は他の作曲家、室内楽での演奏(録音)にも名演が数多く存在する。