PTNA2019年C級課題曲。
ハンガリーのピアニスト、教師、作曲家。今日、ヘラーは概して中級者向けの練習曲作曲家とみなされている。1840年代に出版された一連の練習曲作品45、46、47は学習の過程で時折用いられる教材として有名である。近年では彼の主要作品を録音するピアニストも増えてきてはいるものの、日本では相変わらず馴染みのない作曲家としての地位にとどまっている。
しかし、19世紀中葉から彼が亡くなるまで、ヨーロッパ音楽界におけるヘラーの存在は想像される以上に際立っていた。当時、数多の主要な音楽家・批評家たちは、ヘラーへの賛辞を惜しまなかった。彼の作品はフランス、ドイツ、イギリスを中心に各地で出版され、各国の音楽院は世紀後半、ヘラー作品の演奏を生徒に推奨し、彼の名は広く人々の知られるところとなっていたのである。 19世紀中葉、時代に芸術の頽廃を見ていたフェティスは、ヘラーの作品に多大な期待を抱いていた。彼は自身の編纂した事典で次のように述べている。
「かつて芸術家たちはヘラーの作品に冷淡な態度を見せたが、それもすっかり消え失せ、あれらの作品のエディションは増加した。このことは、彼の作品が成功したということをはっきりと示している。いつか、派閥のさまざまな勢力が消え失せ、事の真価に判断をさせる日がくるであろう。その時、必ずや人々はヘラーがショパン以上に、ピアノの現代詩人だということに気づくことになるだろう。」
ヘラーはドイツで教育を受け、パリで活躍した。この背景を踏まえたうえで19世紀のピアノ音楽界におけるヘラーの位置づけを端的に示すならば、ドイツとフランス双方の音楽的性質をバランスよく身に付けた作曲家ということになろう。しかしながら、この両面性・中間性が却って後世のヘラーの評価を落とす原因になっているのかもしれない。もし彼の音楽をシューマンやショパンの亜流と評するなら、その評価は著しく公正性を欠くものである。ヘラーは自由自在に過去の作曲家の着想を捉え、それを思いのままに扱うことができた。その着想は、彼の作品において時に直接的な引用となって、また時に独創的な楽想として現れている。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より