ラヴェル クープランの墓 4.リゴドン 動画集 | Mボックス

Music video

ラヴェル クープランの墓 4.リゴドン 動画集

ラヴェル クープランの墓 第4曲 リゴドンの動画集です。

ラヴェル クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェル クープランの墓
第4曲 リゴドン M.68-4

RAVEL Le Tombeau de Couperin
IV. Rigaudon M.68-4

ラヴェルのクープランの墓 第4曲 リゴドンです。
全6曲のピアノ組曲で、それぞれ第一次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられています。
ラヴェル最後のピアノ独奏曲です。
●ラヴェル クープランの墓の解説はこちら
●ラヴェル クープランの墓の動画集一覧はこちら
●ラヴェル 全ての動画集一覧はこちら

アルバム収録曲一覧

1. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / 三宅 由利子

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 三宅 由利子

日本のピアニスト。14歳でPTNAヤングピアニストコンペティションF級銀賞。1990年東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業後、ウィーン国立音楽大学へ留学。1993年、同大学を最優秀の成績で卒業。帰国後は、各地でリサイタル、サロンコンサート、コンツェルト、伴奏など、幅広く活躍。 1996年から二年間、昭和音楽短期大学にて後進の指導にもあたった。現在、全日本ピアノ指導者協会正会員。フェスティバル実行委員。また、2006年4月より、国士舘大学文学部初等教育学科の非常勤講師を勤める。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / 金田 真理子

音源:CD[夢 | R?verie]より 1990年9月13日,14日,16日 音楽の友ホールにて 「ピティナ・ピアノ曲事典」より

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 金田 真理子

日本のピアニスト。パリ国立高等音楽院をプルミエプリを取って卒業。マネス音楽院で修士号を、博士号をニューヨーク市立大学大学院で取得。
モントリオール国際ピアノコンクール、マリア・カナルス国際ピアノコンクールに入賞。国内外で交響楽団戸の共演、リサイタルを行う。また、室内楽奏者としても活発に活動。
2004年オハイオ・ウェズレヤン大学准教授に就任。ピティナ正会員。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

3. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / 岸 美奈子

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

4. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / ロルティ,ルイ

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - ロルティ,ルイ

フランス系カナダ人のピアニスト。
1986年度のブゾーニ国際ピアノコンクールで第一位を獲得している。シャンドスレーベルから30以上の録音を発表している。

5. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / モントリオール交響楽団

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

6. クープランの墓 第4曲 リゴードン / ラヴェル,モーリス / コラール,ジャン=フィリップ

楽譜と共に

この曲の詳細を見る ▼
楽曲解説 - クープランの墓 第4曲 リゴードン

ラヴェルはフランス近代を代表する作曲家で、曲数こそ多くはないが、重要な秀作を次々と生み出した。初期の作品には他の作曲家の影響が色濃く反映されていたが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的傾向をその作品に反映するようになっていった。そのような傾向が最も端的に現れているのがこの『クープランの墓』で、クープランを代表とする18世紀フランス音楽に敬意を表して、1914~17年に作曲された。曲名の“墓”というのはフランス語の“トンボー”(tombeau)という語の直訳だろうが、ここでは“故人を偲ぶ曲”というというもう一つの意味の方を指していると考えられる。曲は古典舞曲形式を中心に6曲からなり、各曲は第1次大戦で戦死した彼の友人6人に捧げられている。初演は、第6曲を捧げられ音楽学者だったマルリアーヴ隊長の未亡人でフランスの名ピアニスト、マルグリット・ロンによって1919年4月11日パリで行われた。

4.リゴドン / "Rigaudon"。リゴドンは17世紀フランスの宮廷音楽によく用いられた、プロヴァンス発祥の2拍子系の舞曲。明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部とが対比を成す。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - コラール,ジャン=フィリップ

1860年代以降のフランスの中核をなすピアニスト。