メンデルスゾーン 無言歌集Op.30-6 ヴェネツィアの舟歌II動画集 | Mボックス

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メンデルスゾーン 無言歌集Op.30-6 ヴェネツィアの舟歌II動画集

メンデルスゾーン 無言歌集 Op.30 第6曲 嬰へ短調 ヴェネツィアの舟歌IIの動画集です。

メンデルスゾーン 無言歌集II 第6曲 ヴェネツィアの舟歌II Op.30-6

メンデルスゾーン 無言歌集 第2巻 作品30
第6曲 嬰へ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」

MENDELSSOHN Lieder ohne Worte II Op.30
No.6 in F sharp minor “Venezianisches Gondellied II”

メンデルスゾーンの無言歌集 第2巻 第6曲 (第12番) ヴェネツィアの舟歌II Op.30-6です。
全8巻、各6曲からなる>メンデルスゾーンのピアノ曲集です。
日本では題名が全てについていますが、メンデルスゾーンが直接つけた表題は実際には5曲しかありません。
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アルバム収録曲一覧

1. 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / メンデルスゾーン,フェリックス / 大竹 道哉

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」

ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮している。この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現した。歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要だろう。メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及した。そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたが、この《無言歌集》もその一つである。《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までである。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版された。1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記しており、《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことであった。標題をもっているものが多いが、作曲者自身によってつけられたものはわずかである。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようだ。

第2巻 Op.30。

6.嬰ヘ短調「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / op.30-6 (1835)。6曲中、作者自身による副題をもつ唯一の作品。舟歌第1よりも、テンポはややはやめられるが、すべるような流動性は保って演奏される。「二つの声部は絶えずきわめて明瞭にうきたたせなければならない」とかかれている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - メンデルスゾーン,フェリックス

ドイツロマン派の作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。

メンデルスゾーンは作曲の規範を古典派、とりわけモーツァルトに学んだ。 また、バッハやヘンデルなどの対位法も深く研究した。いっぽうで、文学に主題を求め、標題を冠した作品を数多く残したところは、ロマン主義的気質を示している。ピアノ作品にもこの両方の傾向が顕れている。ピアノが彼個人にとって最も大切な楽器であったことは、独奏曲の大半がピアノ作品であることからも判る。様式も多岐にわたり、小規模で親しみやすいさまざまの形式のほか、3曲のソナタ、変奏曲、幻想曲など大規模作品も残している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 大竹 道哉

日本のピアニスト。東京音楽大学、研究科を首席で卒業。読売新人演奏会出演。第53回日本音楽コンクール入選。 87~90年ベルリン芸大留学。優等を得て卒業。
07年にはじめてのCD、「バッハ・ピアノリサイタル」(ライブ録音)を発売、「レコード芸術」で高い評価を得る。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / メンデルスゾーン,フェリックス / 中川 京子

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」

ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮している。この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現した。歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要だろう。メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及した。そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたが、この《無言歌集》もその一つである。《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までである。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版された。1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記しており、《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことであった。標題をもっているものが多いが、作曲者自身によってつけられたものはわずかである。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようだ。

第2巻 Op.30。

6.嬰ヘ短調「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / op.30-6 (1835)。6曲中、作者自身による副題をもつ唯一の作品。舟歌第1よりも、テンポはややはやめられるが、すべるような流動性は保って演奏される。「二つの声部は絶えずきわめて明瞭にうきたたせなければならない」とかかれている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - メンデルスゾーン,フェリックス

ドイツロマン派の作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。

メンデルスゾーンは作曲の規範を古典派、とりわけモーツァルトに学んだ。 また、バッハやヘンデルなどの対位法も深く研究した。いっぽうで、文学に主題を求め、標題を冠した作品を数多く残したところは、ロマン主義的気質を示している。ピアノ作品にもこの両方の傾向が顕れている。ピアノが彼個人にとって最も大切な楽器であったことは、独奏曲の大半がピアノ作品であることからも判る。様式も多岐にわたり、小規模で親しみやすいさまざまの形式のほか、3曲のソナタ、変奏曲、幻想曲など大規模作品も残している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 中川 京子

日本のピアニスト。東京芸術大学卒業、第47回日本音楽コンクールピアノ部門第2位。オーケストラとの協演、NHK-FM、TV番組、ヤマハ・ソニー音楽芸術振興会主催コンサート出演、教育用ビデオの演奏収録など各方面にわたり活動中。ピティナ協会正会員。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

3. 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / メンデルスゾーン,フェリックス / バルツァーニ,ヴィンツェンツォ

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」

ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮している。この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現した。歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要だろう。メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及した。そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたが、この《無言歌集》もその一つである。《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までである。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版された。1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記しており、《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことであった。標題をもっているものが多いが、作曲者自身によってつけられたものはわずかである。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようだ。

第2巻 Op.30。

6.嬰ヘ短調「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / op.30-6 (1835)。6曲中、作者自身による副題をもつ唯一の作品。舟歌第1よりも、テンポはややはやめられるが、すべるような流動性は保って演奏される。「二つの声部は絶えずきわめて明瞭にうきたたせなければならない」とかかれている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - メンデルスゾーン,フェリックス

ドイツロマン派の作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。

メンデルスゾーンは作曲の規範を古典派、とりわけモーツァルトに学んだ。 また、バッハやヘンデルなどの対位法も深く研究した。いっぽうで、文学に主題を求め、標題を冠した作品を数多く残したところは、ロマン主義的気質を示している。ピアノ作品にもこの両方の傾向が顕れている。ピアノが彼個人にとって最も大切な楽器であったことは、独奏曲の大半がピアノ作品であることからも判る。様式も多岐にわたり、小規模で親しみやすいさまざまの形式のほか、3曲のソナタ、変奏曲、幻想曲など大規模作品も残している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - バルツァーニ,ヴィンツェンツォ

イタリアのピアニスト。

4. 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / メンデルスゾーン,フェリックス / バレンボイム,ダニエル

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ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮している。この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現した。歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要だろう。メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及した。そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたが、この《無言歌集》もその一つである。《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までである。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版された。1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記しており、《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことであった。標題をもっているものが多いが、作曲者自身によってつけられたものはわずかである。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようだ。

第2巻 Op.30。

6.嬰ヘ短調「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / op.30-6 (1835)。6曲中、作者自身による副題をもつ唯一の作品。舟歌第1よりも、テンポはややはやめられるが、すべるような流動性は保って演奏される。「二つの声部は絶えずきわめて明瞭にうきたたせなければならない」とかかれている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - メンデルスゾーン,フェリックス

ドイツロマン派の作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。

メンデルスゾーンは作曲の規範を古典派、とりわけモーツァルトに学んだ。 また、バッハやヘンデルなどの対位法も深く研究した。いっぽうで、文学に主題を求め、標題を冠した作品を数多く残したところは、ロマン主義的気質を示している。ピアノ作品にもこの両方の傾向が顕れている。ピアノが彼個人にとって最も大切な楽器であったことは、独奏曲の大半がピアノ作品であることからも判る。様式も多岐にわたり、小規模で親しみやすいさまざまの形式のほか、3曲のソナタ、変奏曲、幻想曲など大規模作品も残している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - バレンボイム,ダニエル

アルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。ロシア出身のユダヤ系移民を両親として生まれる。5歳のとき母親にピアノの手ほどきを受け、その後は父エンリケに師事。両親のほかにピアノの指導を受けてはいない。少年時代から音楽の才能を表し、1950年8月まだ7歳のうちにブエノスアイレスで最初の公開演奏会を開いてピアニストとしてデビュー。1991年よりショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。

5. 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / メンデルスゾーン,フェリックス / レナ・キリアコウ

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楽曲解説 - 無言歌集 第2巻 作品30 第6曲 嬰ヘ短調 「ヴェネツィアの舟歌 第2」

ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮している。この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現した。歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要だろう。メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及した。そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたが、この《無言歌集》もその一つである。《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までである。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版された。1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記しており、《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことであった。標題をもっているものが多いが、作曲者自身によってつけられたものはわずかである。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようだ。

第2巻 Op.30。

6.嬰ヘ短調「ヴェネツィアの舟歌 第2」 / op.30-6 (1835)。6曲中、作者自身による副題をもつ唯一の作品。舟歌第1よりも、テンポはややはやめられるが、すべるような流動性は保って演奏される。「二つの声部は絶えずきわめて明瞭にうきたたせなければならない」とかかれている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - メンデルスゾーン,フェリックス

ドイツロマン派の作曲家。ベルリンの富裕なユダヤ系の銀行家に生まれた。姉も音楽家となった。フェーリクスは神童ピアニストとしてデビューし、10才で作曲を始めた。旅行もよくし、特にパリでは老年のケルビーニ、オペラ作家マイヤベーアのほか、リストやフンメルなどピアノの名手にも知己を得た。家には絶えず高邁な文化人が出入りし、音楽のみならず哲学や文学の素養が培われた。1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を上演、大成功を博すも、ジングアカデミーの音楽監督の地位は手に入らず、35年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となって、ここにようやく活動拠点を見出した。

メンデルスゾーンは作曲の規範を古典派、とりわけモーツァルトに学んだ。 また、バッハやヘンデルなどの対位法も深く研究した。いっぽうで、文学に主題を求め、標題を冠した作品を数多く残したところは、ロマン主義的気質を示している。ピアノ作品にもこの両方の傾向が顕れている。ピアノが彼個人にとって最も大切な楽器であったことは、独奏曲の大半がピアノ作品であることからも判る。様式も多岐にわたり、小規模で親しみやすいさまざまの形式のほか、3曲のソナタ、変奏曲、幻想曲など大規模作品も残している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - レナ・キリアコウ

ギリシャ生まれの男性ピアニスト