ブラームス 交響曲第1番4楽章 動画集 | Mボックス

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ブラームス 交響曲第1番4楽章 動画集

ブラームス 交響曲 第1番 第4楽章の動画集です。

ブラームス 交響曲第1番 第4楽章

ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68
第4楽章 アダージョ – アレグロ・ノン・トロッポ、マ・コン・ブリオ

BRAHMS Shymphony No.1 in C minor Op.68
4th mov. Adagio — Allegro non troppo, ma con brio

ブラームスの交響曲第1番 第4楽章です。
ブラームスが作曲した4つの交響曲のうちの最初の1曲です。
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アルバム収録曲一覧

1. 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章 / ブラームス,ヨハネス / ピアノデュオ ドゥオール

ピアノ連弾版。 「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章

ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られている。最初の交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した労作である。そのかいあってかハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価され、今日でも「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。

第4楽章 Adagio - Pi? andante - Allegro non troppo, ma con brio - Pi? allegro、ハ短調 → ハ長調、序奏付きのソナタ形式(ただし展開部を欠く)

冒頭はハ短調で、第1楽章の序奏の気分が回想されながら、第1主題が断片的に予告される。弦楽器のピチカートと交互に発展しながら凄い嵐になり収まったところで序奏の第2部に入る。序奏の第2部ではハ長調に転じ、アルペンホルン風の朗々とした旋律と、トロンボーン・ファゴットによるコラールが聞こえる。なお、このアルペンホルンの主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, gr?? ich dich viel tausendmal"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。

管弦楽全体が休止し序奏が終わると、弦楽合奏が第1主題を演奏し始める。主部はハ長調でソナタ形式に基づくが、再現部の第1主題部に展開部を重ねたような独特の形式を持つ。第1主題は歌曲風であり、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとっている。この交響曲のそれまでの部分は、構造をあえて不明瞭にしている部分が多いが、それとは好対照をなす明晰さである。さらに、ハ長調という誠実さを象徴するかのような調が選ばれており、借用和音などを効果的に使いながら、感動的に歌い上げている。この部分はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性も指摘される。第2主題は例のアルペンホルンの動機「EDCG」のCをFisにおきかえたもので、これも弦楽合奏に演奏される。小結尾はホ短調となり高揚的な新しい句が登場し、提示部のクライマックスを形成していく。それがひとしきり終わると、再び提示部と同じように第1主題が再現する。木管に受け継がれた後、序奏部および提示部の要素を盛り込んで展開部らしい楽想になりここでもクライマックスを築いていく。その頂点で序奏部のアルペンホルンの旋律が回帰し、第2主題部、小結尾が型通りに続く。コーダは、ピウ・アレグロ 2/2拍子となり、「CHC」を中心に、4音下降組み合わされて進み、序奏のトロンボーンとファゴットのコラールがファンファーレとして全オーケストラに奏でられると、今度は 「GAG」 が中心となり、最後に第1楽章第1主題末尾の 「AAsFisG」が回帰し、再び「CHC」がでてきてハ長調の主和音が4回打ちつけられ、華やかに曲を閉じる。

作曲家解説 - ブラームス,ヨハネス

ドイツの作曲家。19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ドイツロマン派の代表的な作曲家といえる。

ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。音楽家である父から最初の手ほどきを受けたあと、地元ハンブルクの教師からピアノや作曲を学んだ。1853年、生涯の友人となるヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムと知り合ったほか、ワイマールにリストを訪ね、9月にはかねてより理想的な音楽家と考えていたロベルト・シューマンとデュッセルドルフで会見し、激賞を受けた。翌年、自殺未遂を図ったシューマンの一家を援助するべくデュッセルドルフを再訪。シューマン夫人のクララとは当初恋愛感情で、後に深い友情をもって終生交流が続いた。

1862年、拠点をハンブルクからウィーンへ移した。ウィーンではすぐに芸術界に受け入れられ、次第に活躍の場を広げた。1868年には同地に定住を決意。この時期、指揮者としての演奏活動も行っていたが、1875年にはこの分野から撤退。より作曲に注力するようになった。この頃には国際的な名声を確実なものとし、存命中に数々の栄誉に浴した。

ブラームスのピアノ作品は創作活動期間の初期と末期に集中して作られている。彼の音楽性の変遷を観察する上では極めて重要な作品群である。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - ピアノデュオ ドゥオール

2004年にドイツにて結成後、国内外にて200以上のステージを踏み、ピアノデュオを中心とした活動で高い評価と注目を集めるドゥオール。
藤井隆史:東京藝術大学付属高校、同大学を経て同大学院修了。白水芳枝:兵庫県立西宮高校音楽科、東京藝術大学卒業。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章 / ブラームス,ヨハネス / バレンボイム,ダニエル

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楽曲解説 - 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章

ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られている。最初の交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した労作である。そのかいあってかハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価され、今日でも「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。

第4楽章 Adagio - Pi? andante - Allegro non troppo, ma con brio - Pi? allegro、ハ短調 → ハ長調、序奏付きのソナタ形式(ただし展開部を欠く)

冒頭はハ短調で、第1楽章の序奏の気分が回想されながら、第1主題が断片的に予告される。弦楽器のピチカートと交互に発展しながら凄い嵐になり収まったところで序奏の第2部に入る。序奏の第2部ではハ長調に転じ、アルペンホルン風の朗々とした旋律と、トロンボーン・ファゴットによるコラールが聞こえる。なお、このアルペンホルンの主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, gr?? ich dich viel tausendmal"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。

管弦楽全体が休止し序奏が終わると、弦楽合奏が第1主題を演奏し始める。主部はハ長調でソナタ形式に基づくが、再現部の第1主題部に展開部を重ねたような独特の形式を持つ。第1主題は歌曲風であり、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとっている。この交響曲のそれまでの部分は、構造をあえて不明瞭にしている部分が多いが、それとは好対照をなす明晰さである。さらに、ハ長調という誠実さを象徴するかのような調が選ばれており、借用和音などを効果的に使いながら、感動的に歌い上げている。この部分はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性も指摘される。第2主題は例のアルペンホルンの動機「EDCG」のCをFisにおきかえたもので、これも弦楽合奏に演奏される。小結尾はホ短調となり高揚的な新しい句が登場し、提示部のクライマックスを形成していく。それがひとしきり終わると、再び提示部と同じように第1主題が再現する。木管に受け継がれた後、序奏部および提示部の要素を盛り込んで展開部らしい楽想になりここでもクライマックスを築いていく。その頂点で序奏部のアルペンホルンの旋律が回帰し、第2主題部、小結尾が型通りに続く。コーダは、ピウ・アレグロ 2/2拍子となり、「CHC」を中心に、4音下降組み合わされて進み、序奏のトロンボーンとファゴットのコラールがファンファーレとして全オーケストラに奏でられると、今度は 「GAG」 が中心となり、最後に第1楽章第1主題末尾の 「AAsFisG」が回帰し、再び「CHC」がでてきてハ長調の主和音が4回打ちつけられ、華やかに曲を閉じる。

作曲家解説 - ブラームス,ヨハネス

ドイツの作曲家。19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ドイツロマン派の代表的な作曲家といえる。

ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。音楽家である父から最初の手ほどきを受けたあと、地元ハンブルクの教師からピアノや作曲を学んだ。1853年、生涯の友人となるヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムと知り合ったほか、ワイマールにリストを訪ね、9月にはかねてより理想的な音楽家と考えていたロベルト・シューマンとデュッセルドルフで会見し、激賞を受けた。翌年、自殺未遂を図ったシューマンの一家を援助するべくデュッセルドルフを再訪。シューマン夫人のクララとは当初恋愛感情で、後に深い友情をもって終生交流が続いた。

1862年、拠点をハンブルクからウィーンへ移した。ウィーンではすぐに芸術界に受け入れられ、次第に活躍の場を広げた。1868年には同地に定住を決意。この時期、指揮者としての演奏活動も行っていたが、1875年にはこの分野から撤退。より作曲に注力するようになった。この頃には国際的な名声を確実なものとし、存命中に数々の栄誉に浴した。

ブラームスのピアノ作品は創作活動期間の初期と末期に集中して作られている。彼の音楽性の変遷を観察する上では極めて重要な作品群である。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - バレンボイム,ダニエル

アルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。ロシア出身のユダヤ系移民を両親として生まれる。5歳のとき母親にピアノの手ほどきを受け、その後は父エンリケに師事。両親のほかにピアノの指導を受けてはいない。少年時代から音楽の才能を表し、1950年8月まだ7歳のうちにブエノスアイレスで最初の公開演奏会を開いてピアニストとしてデビュー。1991年よりショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。

3. 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章 / ブラームス,ヨハネス / 小澤 征爾

コンサートミストレス:潮田益子(1942~2013) 1987年9月11日 ベルリンフィルハーモニーホール

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楽曲解説 - 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章

ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られている。最初の交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した労作である。そのかいあってかハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価され、今日でも「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。

第4楽章 Adagio - Pi? andante - Allegro non troppo, ma con brio - Pi? allegro、ハ短調 → ハ長調、序奏付きのソナタ形式(ただし展開部を欠く)

冒頭はハ短調で、第1楽章の序奏の気分が回想されながら、第1主題が断片的に予告される。弦楽器のピチカートと交互に発展しながら凄い嵐になり収まったところで序奏の第2部に入る。序奏の第2部ではハ長調に転じ、アルペンホルン風の朗々とした旋律と、トロンボーン・ファゴットによるコラールが聞こえる。なお、このアルペンホルンの主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, gr?? ich dich viel tausendmal"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。

管弦楽全体が休止し序奏が終わると、弦楽合奏が第1主題を演奏し始める。主部はハ長調でソナタ形式に基づくが、再現部の第1主題部に展開部を重ねたような独特の形式を持つ。第1主題は歌曲風であり、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとっている。この交響曲のそれまでの部分は、構造をあえて不明瞭にしている部分が多いが、それとは好対照をなす明晰さである。さらに、ハ長調という誠実さを象徴するかのような調が選ばれており、借用和音などを効果的に使いながら、感動的に歌い上げている。この部分はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性も指摘される。第2主題は例のアルペンホルンの動機「EDCG」のCをFisにおきかえたもので、これも弦楽合奏に演奏される。小結尾はホ短調となり高揚的な新しい句が登場し、提示部のクライマックスを形成していく。それがひとしきり終わると、再び提示部と同じように第1主題が再現する。木管に受け継がれた後、序奏部および提示部の要素を盛り込んで展開部らしい楽想になりここでもクライマックスを築いていく。その頂点で序奏部のアルペンホルンの旋律が回帰し、第2主題部、小結尾が型通りに続く。コーダは、ピウ・アレグロ 2/2拍子となり、「CHC」を中心に、4音下降組み合わされて進み、序奏のトロンボーンとファゴットのコラールがファンファーレとして全オーケストラに奏でられると、今度は 「GAG」 が中心となり、最後に第1楽章第1主題末尾の 「AAsFisG」が回帰し、再び「CHC」がでてきてハ長調の主和音が4回打ちつけられ、華やかに曲を閉じる。

作曲家解説 - ブラームス,ヨハネス

ドイツの作曲家。19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ドイツロマン派の代表的な作曲家といえる。

ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。音楽家である父から最初の手ほどきを受けたあと、地元ハンブルクの教師からピアノや作曲を学んだ。1853年、生涯の友人となるヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムと知り合ったほか、ワイマールにリストを訪ね、9月にはかねてより理想的な音楽家と考えていたロベルト・シューマンとデュッセルドルフで会見し、激賞を受けた。翌年、自殺未遂を図ったシューマンの一家を援助するべくデュッセルドルフを再訪。シューマン夫人のクララとは当初恋愛感情で、後に深い友情をもって終生交流が続いた。

1862年、拠点をハンブルクからウィーンへ移した。ウィーンではすぐに芸術界に受け入れられ、次第に活躍の場を広げた。1868年には同地に定住を決意。この時期、指揮者としての演奏活動も行っていたが、1875年にはこの分野から撤退。より作曲に注力するようになった。この頃には国際的な名声を確実なものとし、存命中に数々の栄誉に浴した。

ブラームスのピアノ作品は創作活動期間の初期と末期に集中して作られている。彼の音楽性の変遷を観察する上では極めて重要な作品群である。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 小澤 征爾

日本人を代表する指揮者である。2002-2003年のシーズンから2009-2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。 栄典・表彰歴として文化勲章受章など。主な称号はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員など

4. 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章 / ブラームス,ヨハネス / カール・ベーム

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楽曲解説 - 交響曲 第1番 ハ短調 第4楽章

ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られている。最初の交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した労作である。そのかいあってかハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価され、今日でも「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。

第4楽章 Adagio - Pi? andante - Allegro non troppo, ma con brio - Pi? allegro、ハ短調 → ハ長調、序奏付きのソナタ形式(ただし展開部を欠く)

冒頭はハ短調で、第1楽章の序奏の気分が回想されながら、第1主題が断片的に予告される。弦楽器のピチカートと交互に発展しながら凄い嵐になり収まったところで序奏の第2部に入る。序奏の第2部ではハ長調に転じ、アルペンホルン風の朗々とした旋律と、トロンボーン・ファゴットによるコラールが聞こえる。なお、このアルペンホルンの主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, gr?? ich dich viel tausendmal"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。

管弦楽全体が休止し序奏が終わると、弦楽合奏が第1主題を演奏し始める。主部はハ長調でソナタ形式に基づくが、再現部の第1主題部に展開部を重ねたような独特の形式を持つ。第1主題は歌曲風であり、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとっている。この交響曲のそれまでの部分は、構造をあえて不明瞭にしている部分が多いが、それとは好対照をなす明晰さである。さらに、ハ長調という誠実さを象徴するかのような調が選ばれており、借用和音などを効果的に使いながら、感動的に歌い上げている。この部分はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性も指摘される。第2主題は例のアルペンホルンの動機「EDCG」のCをFisにおきかえたもので、これも弦楽合奏に演奏される。小結尾はホ短調となり高揚的な新しい句が登場し、提示部のクライマックスを形成していく。それがひとしきり終わると、再び提示部と同じように第1主題が再現する。木管に受け継がれた後、序奏部および提示部の要素を盛り込んで展開部らしい楽想になりここでもクライマックスを築いていく。その頂点で序奏部のアルペンホルンの旋律が回帰し、第2主題部、小結尾が型通りに続く。コーダは、ピウ・アレグロ 2/2拍子となり、「CHC」を中心に、4音下降組み合わされて進み、序奏のトロンボーンとファゴットのコラールがファンファーレとして全オーケストラに奏でられると、今度は 「GAG」 が中心となり、最後に第1楽章第1主題末尾の 「AAsFisG」が回帰し、再び「CHC」がでてきてハ長調の主和音が4回打ちつけられ、華やかに曲を閉じる。

作曲家解説 - ブラームス,ヨハネス

ドイツの作曲家。19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ドイツロマン派の代表的な作曲家といえる。

ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。音楽家である父から最初の手ほどきを受けたあと、地元ハンブルクの教師からピアノや作曲を学んだ。1853年、生涯の友人となるヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムと知り合ったほか、ワイマールにリストを訪ね、9月にはかねてより理想的な音楽家と考えていたロベルト・シューマンとデュッセルドルフで会見し、激賞を受けた。翌年、自殺未遂を図ったシューマンの一家を援助するべくデュッセルドルフを再訪。シューマン夫人のクララとは当初恋愛感情で、後に深い友情をもって終生交流が続いた。

1862年、拠点をハンブルクからウィーンへ移した。ウィーンではすぐに芸術界に受け入れられ、次第に活躍の場を広げた。1868年には同地に定住を決意。この時期、指揮者としての演奏活動も行っていたが、1875年にはこの分野から撤退。より作曲に注力するようになった。この頃には国際的な名声を確実なものとし、存命中に数々の栄誉に浴した。

ブラームスのピアノ作品は創作活動期間の初期と末期に集中して作られている。彼の音楽性の変遷を観察する上では極めて重要な作品群である。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - カール・ベーム

オーストリア音楽総監督、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者などを歴任したドイツを代表する指揮者の一人。