ドビュッシー 練習曲集III.四度の為に 動画集 | Mボックス

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ドビュッシー 練習曲集III.四度の為に 動画集

ドビュッシー 練習曲集III.四度のためにの動画集です。

ドビュッシー 練習曲 四度のために

ドビュッシー 練習曲集
第3曲 四度のための練習曲 L136-3

DEBUSSY Etudes
III. Pour les quartes L136-3

ドビュッシー 練習曲集の第3曲四度のためにです。
ドビュッシーが最晩年に作曲した全12曲の作品集です。
第3曲目の4度の音程は、ドビュッシーが好んだ音程といわれています。
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アルバム収録曲一覧

1. 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲 / ドビュッシー,クロード / 金子 一朗

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲

1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。

6曲ずつの2巻に分けられている。

3.4度音程のための / "Pour les quartes"。4度もドビュッシーが好んだ音程である。変容しつつ流れていく4度のアラベスクの中で、ドビュッシーは「まだお聴きになったことがないものを、あなたは発見なさるでしょう」と書いている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。

作曲家解説 - ドビュッシー,クロード

フランスの作曲家。
クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、父マニュエルと母ヴィクトリーヌの長男として、パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レに生まれた。

ドビュッシーは、ワーグナーを乗り越えるためにフランス固有の美を武器とし、大胆な語法によって20世紀音楽への扉をあけた作曲家である。長調・短調の明確な対比を嫌った彼は、教会旋法、東洋風の5音音階、全音音階などを駆使し、印象派の画家たちが遠近法を回避するために画面を分割したように、平面的、スタティックな美を生み出した。

ドビュッシーのピアニズムには、大きくわけて次の3つの源流がある。モーテ夫人を通じて伝えられたショパンの技法(ビロードのようなタッチと美しい響き、軽やかなリズムなど)、やはりモーテ夫人に目を開かれたバッハの書法(対位法的、優雅なアラベスクなど)、18世紀クラヴサン音楽の技法(多彩な装飾音、「バトリ」など)。

ドビュッシー独自の語法としては、ペダルで白鍵と黒鍵の響きを混ぜたり、重音や和音塊を平行移動させたり、いくつもの層を積み重ねて、独特の「音響宇宙」を生み出したこと、ポリリズムやルバートを多用して自在な律動を作り出したことなどがあげられる。

1907年にドビュッシーは、「私はますます音楽というのは色彩と律動づけられた時間でできていると確信するようになった」と書いているが、調性からもリズムからも自由になりながら有機性を失わなかったドビュッシーの在り方を象徴するような言葉である。

『前奏曲集第1巻』が『管弦楽のための映像』の「イベリア」と同時進行していたように、ドビュッシーのピアノ曲はオーケストラ曲やオペラ、声楽曲と密接なかかわりももつものが多い。従って、単にピアノ曲としての解釈にとどまるのではなく、背景となっているテキストや管弦楽の色彩感をとりいれなければ、片手落ちになるだろう。

ドビュッシーの「音響宇宙」にはペダルの使用が不可欠だが、彼の発想はしばしば管弦楽的で、幾重もの音響レベルを明確に弾きわけるタッチとペダリングが求められる。

東洋美術に深い関心をもち、また作品にもとりいれたドビュッシーは、作曲にあたってのモットーを「ものごとの半分まで言って想像力に接ぎ木させる」と表現している。すべてをさらけ出さず、深く静かに潜行させるその姿勢は、東洋人、とりわけ日本人の美意識にもっとも近い作曲家ということができよう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より


フランス近代の印象派を代表する作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。ドビュッシーの音楽は、その特徴的な和音構成などで、音の印象を表現するという独特の表現スタイルを確立し、「印象主義音楽(印象派)」と称されている。

演奏家解説 - 金子 一朗

日本のピアニスト。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション ソロ部門特級は2003~4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞、2005年ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。2007年3月、『ピティナ40周年記念 ピアノコンチェルトの夕べ』にて渡邊一正指揮・NHK交響楽団と共演。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲 / ドビュッシー,クロード / 園田 高弘

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲

1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。

6曲ずつの2巻に分けられている。

3.4度音程のための / "Pour les quartes"。4度もドビュッシーが好んだ音程である。変容しつつ流れていく4度のアラベスクの中で、ドビュッシーは「まだお聴きになったことがないものを、あなたは発見なさるでしょう」と書いている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。

作曲家解説 - ドビュッシー,クロード

フランスの作曲家。
クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、父マニュエルと母ヴィクトリーヌの長男として、パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レに生まれた。

ドビュッシーは、ワーグナーを乗り越えるためにフランス固有の美を武器とし、大胆な語法によって20世紀音楽への扉をあけた作曲家である。長調・短調の明確な対比を嫌った彼は、教会旋法、東洋風の5音音階、全音音階などを駆使し、印象派の画家たちが遠近法を回避するために画面を分割したように、平面的、スタティックな美を生み出した。

ドビュッシーのピアニズムには、大きくわけて次の3つの源流がある。モーテ夫人を通じて伝えられたショパンの技法(ビロードのようなタッチと美しい響き、軽やかなリズムなど)、やはりモーテ夫人に目を開かれたバッハの書法(対位法的、優雅なアラベスクなど)、18世紀クラヴサン音楽の技法(多彩な装飾音、「バトリ」など)。

ドビュッシー独自の語法としては、ペダルで白鍵と黒鍵の響きを混ぜたり、重音や和音塊を平行移動させたり、いくつもの層を積み重ねて、独特の「音響宇宙」を生み出したこと、ポリリズムやルバートを多用して自在な律動を作り出したことなどがあげられる。

1907年にドビュッシーは、「私はますます音楽というのは色彩と律動づけられた時間でできていると確信するようになった」と書いているが、調性からもリズムからも自由になりながら有機性を失わなかったドビュッシーの在り方を象徴するような言葉である。

『前奏曲集第1巻』が『管弦楽のための映像』の「イベリア」と同時進行していたように、ドビュッシーのピアノ曲はオーケストラ曲やオペラ、声楽曲と密接なかかわりももつものが多い。従って、単にピアノ曲としての解釈にとどまるのではなく、背景となっているテキストや管弦楽の色彩感をとりいれなければ、片手落ちになるだろう。

ドビュッシーの「音響宇宙」にはペダルの使用が不可欠だが、彼の発想はしばしば管弦楽的で、幾重もの音響レベルを明確に弾きわけるタッチとペダリングが求められる。

東洋美術に深い関心をもち、また作品にもとりいれたドビュッシーは、作曲にあたってのモットーを「ものごとの半分まで言って想像力に接ぎ木させる」と表現している。すべてをさらけ出さず、深く静かに潜行させるその姿勢は、東洋人、とりわけ日本人の美意識にもっとも近い作曲家ということができよう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より


フランス近代の印象派を代表する作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。ドビュッシーの音楽は、その特徴的な和音構成などで、音の印象を表現するという独特の表現スタイルを確立し、「印象主義音楽(印象派)」と称されている。

演奏家解説 - 園田 高弘

日本のピアニスト。東京音楽学校(現・東京芸大)卒業。ヨーロッパ各地で長年にわたり、リサイタル、協奏曲、室内楽とめざましい活躍を続ける。1984年より自身のレーベルから400曲を超す録音を次々発表。バッハから現代に至る膨大なレパートリーの録音を残している。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

3. 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲 / ドビュッシー,クロード / クズネツォフ,セルゲイ

若手演奏家なので、解釈には、多少個人的な好みが入っていて、オーソドックスではないですが、勢いがある演奏です。

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楽曲解説 - 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲

1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。

6曲ずつの2巻に分けられている。

3.4度音程のための / "Pour les quartes"。4度もドビュッシーが好んだ音程である。変容しつつ流れていく4度のアラベスクの中で、ドビュッシーは「まだお聴きになったことがないものを、あなたは発見なさるでしょう」と書いている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。

作曲家解説 - ドビュッシー,クロード

フランスの作曲家。
クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、父マニュエルと母ヴィクトリーヌの長男として、パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レに生まれた。

ドビュッシーは、ワーグナーを乗り越えるためにフランス固有の美を武器とし、大胆な語法によって20世紀音楽への扉をあけた作曲家である。長調・短調の明確な対比を嫌った彼は、教会旋法、東洋風の5音音階、全音音階などを駆使し、印象派の画家たちが遠近法を回避するために画面を分割したように、平面的、スタティックな美を生み出した。

ドビュッシーのピアニズムには、大きくわけて次の3つの源流がある。モーテ夫人を通じて伝えられたショパンの技法(ビロードのようなタッチと美しい響き、軽やかなリズムなど)、やはりモーテ夫人に目を開かれたバッハの書法(対位法的、優雅なアラベスクなど)、18世紀クラヴサン音楽の技法(多彩な装飾音、「バトリ」など)。

ドビュッシー独自の語法としては、ペダルで白鍵と黒鍵の響きを混ぜたり、重音や和音塊を平行移動させたり、いくつもの層を積み重ねて、独特の「音響宇宙」を生み出したこと、ポリリズムやルバートを多用して自在な律動を作り出したことなどがあげられる。

1907年にドビュッシーは、「私はますます音楽というのは色彩と律動づけられた時間でできていると確信するようになった」と書いているが、調性からもリズムからも自由になりながら有機性を失わなかったドビュッシーの在り方を象徴するような言葉である。

『前奏曲集第1巻』が『管弦楽のための映像』の「イベリア」と同時進行していたように、ドビュッシーのピアノ曲はオーケストラ曲やオペラ、声楽曲と密接なかかわりももつものが多い。従って、単にピアノ曲としての解釈にとどまるのではなく、背景となっているテキストや管弦楽の色彩感をとりいれなければ、片手落ちになるだろう。

ドビュッシーの「音響宇宙」にはペダルの使用が不可欠だが、彼の発想はしばしば管弦楽的で、幾重もの音響レベルを明確に弾きわけるタッチとペダリングが求められる。

東洋美術に深い関心をもち、また作品にもとりいれたドビュッシーは、作曲にあたってのモットーを「ものごとの半分まで言って想像力に接ぎ木させる」と表現している。すべてをさらけ出さず、深く静かに潜行させるその姿勢は、東洋人、とりわけ日本人の美意識にもっとも近い作曲家ということができよう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より


フランス近代の印象派を代表する作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。ドビュッシーの音楽は、その特徴的な和音構成などで、音の印象を表現するという独特の表現スタイルを確立し、「印象主義音楽(印象派)」と称されている。

演奏家解説 - クズネツォフ,セルゲイ

ロシア,モスクワ出身。モスクワ音楽院卒。V. アリストヴァ,M. ボスクレセンスキー,O. マイセンバーグに師事。1999年A.M.A. カラブリア国際ピアノコンクール第1位,2003年ゲザ・アンダ国際ピアノコンクール 第2位, パブリック賞,2005年クリーヴランド国際ピアノコンクール第2位受賞。

4. 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲 / ドビュッシー,クロード / ベロフ,ミッシェル

1974年スタジオレコーディング

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楽曲解説 - 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲

1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。

6曲ずつの2巻に分けられている。

3.4度音程のための / "Pour les quartes"。4度もドビュッシーが好んだ音程である。変容しつつ流れていく4度のアラベスクの中で、ドビュッシーは「まだお聴きになったことがないものを、あなたは発見なさるでしょう」と書いている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。

作曲家解説 - ドビュッシー,クロード

フランスの作曲家。
クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、父マニュエルと母ヴィクトリーヌの長男として、パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レに生まれた。

ドビュッシーは、ワーグナーを乗り越えるためにフランス固有の美を武器とし、大胆な語法によって20世紀音楽への扉をあけた作曲家である。長調・短調の明確な対比を嫌った彼は、教会旋法、東洋風の5音音階、全音音階などを駆使し、印象派の画家たちが遠近法を回避するために画面を分割したように、平面的、スタティックな美を生み出した。

ドビュッシーのピアニズムには、大きくわけて次の3つの源流がある。モーテ夫人を通じて伝えられたショパンの技法(ビロードのようなタッチと美しい響き、軽やかなリズムなど)、やはりモーテ夫人に目を開かれたバッハの書法(対位法的、優雅なアラベスクなど)、18世紀クラヴサン音楽の技法(多彩な装飾音、「バトリ」など)。

ドビュッシー独自の語法としては、ペダルで白鍵と黒鍵の響きを混ぜたり、重音や和音塊を平行移動させたり、いくつもの層を積み重ねて、独特の「音響宇宙」を生み出したこと、ポリリズムやルバートを多用して自在な律動を作り出したことなどがあげられる。

1907年にドビュッシーは、「私はますます音楽というのは色彩と律動づけられた時間でできていると確信するようになった」と書いているが、調性からもリズムからも自由になりながら有機性を失わなかったドビュッシーの在り方を象徴するような言葉である。

『前奏曲集第1巻』が『管弦楽のための映像』の「イベリア」と同時進行していたように、ドビュッシーのピアノ曲はオーケストラ曲やオペラ、声楽曲と密接なかかわりももつものが多い。従って、単にピアノ曲としての解釈にとどまるのではなく、背景となっているテキストや管弦楽の色彩感をとりいれなければ、片手落ちになるだろう。

ドビュッシーの「音響宇宙」にはペダルの使用が不可欠だが、彼の発想はしばしば管弦楽的で、幾重もの音響レベルを明確に弾きわけるタッチとペダリングが求められる。

東洋美術に深い関心をもち、また作品にもとりいれたドビュッシーは、作曲にあたってのモットーを「ものごとの半分まで言って想像力に接ぎ木させる」と表現している。すべてをさらけ出さず、深く静かに潜行させるその姿勢は、東洋人、とりわけ日本人の美意識にもっとも近い作曲家ということができよう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より


フランス近代の印象派を代表する作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。ドビュッシーの音楽は、その特徴的な和音構成などで、音の印象を表現するという独特の表現スタイルを確立し、「印象主義音楽(印象派)」と称されている。

演奏家解説 - ベロフ,ミッシェル

フランスのピアニスト。

5. 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲 / ドビュッシー,クロード / テオドーレ・パラスキヴェスコ

1976年スタジオレコーディング

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楽曲解説 - 練習曲集 第3曲 四度のための練習曲

1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。

6曲ずつの2巻に分けられている。

3.4度音程のための / "Pour les quartes"。4度もドビュッシーが好んだ音程である。変容しつつ流れていく4度のアラベスクの中で、ドビュッシーは「まだお聴きになったことがないものを、あなたは発見なさるでしょう」と書いている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より



東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。

作曲家解説 - ドビュッシー,クロード

フランスの作曲家。
クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、父マニュエルと母ヴィクトリーヌの長男として、パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レに生まれた。

ドビュッシーは、ワーグナーを乗り越えるためにフランス固有の美を武器とし、大胆な語法によって20世紀音楽への扉をあけた作曲家である。長調・短調の明確な対比を嫌った彼は、教会旋法、東洋風の5音音階、全音音階などを駆使し、印象派の画家たちが遠近法を回避するために画面を分割したように、平面的、スタティックな美を生み出した。

ドビュッシーのピアニズムには、大きくわけて次の3つの源流がある。モーテ夫人を通じて伝えられたショパンの技法(ビロードのようなタッチと美しい響き、軽やかなリズムなど)、やはりモーテ夫人に目を開かれたバッハの書法(対位法的、優雅なアラベスクなど)、18世紀クラヴサン音楽の技法(多彩な装飾音、「バトリ」など)。

ドビュッシー独自の語法としては、ペダルで白鍵と黒鍵の響きを混ぜたり、重音や和音塊を平行移動させたり、いくつもの層を積み重ねて、独特の「音響宇宙」を生み出したこと、ポリリズムやルバートを多用して自在な律動を作り出したことなどがあげられる。

1907年にドビュッシーは、「私はますます音楽というのは色彩と律動づけられた時間でできていると確信するようになった」と書いているが、調性からもリズムからも自由になりながら有機性を失わなかったドビュッシーの在り方を象徴するような言葉である。

『前奏曲集第1巻』が『管弦楽のための映像』の「イベリア」と同時進行していたように、ドビュッシーのピアノ曲はオーケストラ曲やオペラ、声楽曲と密接なかかわりももつものが多い。従って、単にピアノ曲としての解釈にとどまるのではなく、背景となっているテキストや管弦楽の色彩感をとりいれなければ、片手落ちになるだろう。

ドビュッシーの「音響宇宙」にはペダルの使用が不可欠だが、彼の発想はしばしば管弦楽的で、幾重もの音響レベルを明確に弾きわけるタッチとペダリングが求められる。

東洋美術に深い関心をもち、また作品にもとりいれたドビュッシーは、作曲にあたってのモットーを「ものごとの半分まで言って想像力に接ぎ木させる」と表現している。すべてをさらけ出さず、深く静かに潜行させるその姿勢は、東洋人、とりわけ日本人の美意識にもっとも近い作曲家ということができよう。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より


フランス近代の印象派を代表する作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。ドビュッシーの音楽は、その特徴的な和音構成などで、音の印象を表現するという独特の表現スタイルを確立し、「印象主義音楽(印象派)」と称されている。

演奏家解説 - テオドーレ・パラスキヴェスコ

ルーマニア生まれ。フランスに帰化した。フランク人作曲家の演奏をよく手がけている。