W.A.モーツァルトのピアノ協奏曲の動画集です。ピアノ・フォルテピアノなどの動画を集めました。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
以前は盛んに作曲されていたピアノ協奏曲だが、この作品は前作から1年以上もの間があいている。演奏会のために作曲されるジャンルであるピアノ協奏曲が不作であるということは、すなわちモーツァルトの演奏家としての活動が低下したことを意味している。事実、1787年には予約演奏会は予約客不足のために一度も開催されていない。
《戴冠式》という愛称の由来は、1790年10月15日にレオポルト二世の戴冠式の祝賀宴、2曲の交響曲およびピアノ協奏曲と共に演奏されたことによる。
この作品の自筆譜では、ピアノ・パートはやや不完全であり、スケッチ風な箇所もみられる。特に第2楽章の右手パートは主要旋律のみ、そして左手には何も書かれていない。この左手部分に関しては、1794年の初版に際してJ. A. アンドレによって書き込まれたものが一般に使用されている。
第1楽章:アレグロ、ニ長調、4/4拍子。協奏的ソナタ形式。トランペットとティンパニを伴った輝かしさをもつものの、全体としてその使用は控えめであり、むしろ室内楽的な一面をも見せる。これら2つの楽器は演奏に際して後から加えられたという説が有力であり、モーツァルトは当初、この協奏曲を小編成でも演奏できる形態で想定していたと考えられる。
第2楽章:ラルゲット、イ長調、2/2拍子。三部形式。全体的に穏やかな主題から成る楽章。独奏ピアノが素朴な主題で始め、楽章を通して主導的な役割を果たす。
第3楽章:アレグレット、ニ長調、2/4拍子。ロンド形式。途中に翳りを見せながらも軽快なリズムを前面に押し出した典型的なロンド・フィナーレである。独奏ピアノにも華やかなパッセージが目立つ。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアの作曲家。クラシック音楽史上もっとも有名なオーストリアの天才作曲家、演奏家。35歳のその生涯の中であらゆるジャンルにおいてすべて一流の作品を大量に作曲した。古典派音楽の代表であり、ウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。
モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多い。これは当時の音楽の流行を反映したもので、ロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる。彼が主に使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分であり、非常に軽快に演奏できるものであったことがその作風にも影響を与えていると考えられる。短調作品は少ないながらも、悲壮かつ哀愁あふれる曲調となっている。モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて書かれたものである。モーツァルトの時代に限らず、何世紀もの間、芸術家は教皇や権力者などのパトロンに仕えることで生計を立てていた。モーツァルトの作品はその時代に要求された内容であり、たとえば長調の曲が多いのはそれだけ当時はその注文が多かったことの証でもある。実際、父の死後は依頼者のない作品が生まれている。これは、聴衆の嗜好に配慮せよとの父による規制が無くなったため、モーツァルト自身の目指す音楽に向かうことが可能になったからである。交響曲などがそれに当たる。思想的には、フリーメーソンがパトロンであったこともあり、その影響が指摘されている作品もある。
また、「下書きをしない天才」とも言われ、モーツァルトが非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられているが、自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されている。
日本のピアニスト。桐朋学園大学、同大学院修士課程を修了。同修論がPTNA研究レポート第一号に初採用後、英国留学、奨学金を得てロンドン大学(RAM)入学、同大学院修了。仏パリ・エコール・ ノルマル音楽院を満点一致の審査員特別賞を得て首席修了。これまで国内外での30余りのコンクール・オーディションで受賞他、リサイタル、交響楽団等の演奏活動を行う。現在、器楽・声楽・室内楽など年20余りの音楽コンクールの審査員、各地の文化事業の役員、実行委員を務める。洗足学園大学講師、全日本ピアノ指導者協会正会員。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より