モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番全楽章 動画集 | Mボックス

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モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番全楽章 動画集

W.A.モーツァルトのピアノ協奏曲の動画集です。ピアノ・フォルテピアノなどの動画を集めました。

W.A.モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 K.466 第1楽章

W.A.モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 全楽章

W.A.Mozart Piano Concerto No.20 in D minor K.466 All movements

W.A.モーツァルト ピアノ協奏曲第20番の全楽章です。
モーツァルトのピアノ協奏曲の中で2曲しかない短調作品のひとつ。
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アルバム収録曲一覧

1. ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 全楽章 / モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス / 前山 仁美

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 全楽章

モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中でも高い人気を誇っている一曲。彼のピアノ協奏曲の中で2曲しかない短調作品のひとつであることも注目される。当時のピアノ協奏曲が華やかで社交的な性格をもっていたことを考えれば、例えば第1楽章冒頭のシンコペーションによる怪しい揺れのような、しばしば「デモーニッシュ」と表現されるこの作品の特異な響きには驚きを禁じえない。作曲のきっかけは、モーツァルトがヴィーンで大成功を収めていた時期である1785年2月11日の四旬節の予約演奏会であった。父レオポルトによれば、多忙なモーツァルトはこの作品を前日になってようやく完成させ、終楽章を通して弾いてみる余裕さえなかったのだが、演奏会は大成功だったという。事実、5日後にも再演され、成功を収めている。

第1楽章:アレグロ、ニ短調、4/4拍子。協奏的ソナタ形式。冒頭の管弦楽が不気味でまた激しくもあるのに対し、一転して寂寥感すら感じさせる独奏ピアノの入りが印象的。

第2楽章:ロマンス、変ロ長調、2/2拍子。三部形式。ピアノ主体のやさしい雰囲気に挟まれて、ト短調の中間部では突如として通り雨のような激しさが襲ってくる。

第3楽章:アレグロ・アッサイ、ニ短調、2/2拍子。ロンド・ソナタ形式。激しく攻撃的な短調楽想で始まるが、最終的には長いコーダにおいて長調に転旋し、華々しく作品を閉じる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス

オーストリアの作曲家。クラシック音楽史上もっとも有名なオーストリアの天才作曲家、演奏家。35歳のその生涯の中であらゆるジャンルにおいてすべて一流の作品を大量に作曲した。古典派音楽の代表であり、ウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。

モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多い。これは当時の音楽の流行を反映したもので、ロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる。彼が主に使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分であり、非常に軽快に演奏できるものであったことがその作風にも影響を与えていると考えられる。短調作品は少ないながらも、悲壮かつ哀愁あふれる曲調となっている。モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて書かれたものである。モーツァルトの時代に限らず、何世紀もの間、芸術家は教皇や権力者などのパトロンに仕えることで生計を立てていた。モーツァルトの作品はその時代に要求された内容であり、たとえば長調の曲が多いのはそれだけ当時はその注文が多かったことの証でもある。実際、父の死後は依頼者のない作品が生まれている。これは、聴衆の嗜好に配慮せよとの父による規制が無くなったため、モーツァルト自身の目指す音楽に向かうことが可能になったからである。交響曲などがそれに当たる。思想的には、フリーメーソンがパトロンであったこともあり、その影響が指摘されている作品もある。

また、「下書きをしない天才」とも言われ、モーツァルトが非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられているが、自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されている。

演奏家解説 - 前山 仁美

日本のピアニスト。北鎌倉女子学園高等学校を卒業後、ロシア国立モスクワ音楽院へ留学。ピティナ・ピアノコンペティションB級奨励賞、D級銅賞、G級金賞(東京都知事賞、讀賣新聞社賞、ヒノキ賞、王子賞、洗足学園前田賞など各賞受賞)、特級グランプリ・聴衆賞受賞(文部科学大臣賞、讀賣新聞社賞、ミキモト賞、王子賞、三菱鉛筆賞など各賞受賞)。国内はもとより海外での演奏会も多く、これまでに、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、日本各地でリサイタルや室内楽などの演奏活動を行う。また、国内外の管弦楽団と共演。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 全楽章 / モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス / 赤松 林太郎

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 全楽章

モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中でも高い人気を誇っている一曲。彼のピアノ協奏曲の中で2曲しかない短調作品のひとつであることも注目される。当時のピアノ協奏曲が華やかで社交的な性格をもっていたことを考えれば、例えば第1楽章冒頭のシンコペーションによる怪しい揺れのような、しばしば「デモーニッシュ」と表現されるこの作品の特異な響きには驚きを禁じえない。作曲のきっかけは、モーツァルトがヴィーンで大成功を収めていた時期である1785年2月11日の四旬節の予約演奏会であった。父レオポルトによれば、多忙なモーツァルトはこの作品を前日になってようやく完成させ、終楽章を通して弾いてみる余裕さえなかったのだが、演奏会は大成功だったという。事実、5日後にも再演され、成功を収めている。

第1楽章:アレグロ、ニ短調、4/4拍子。協奏的ソナタ形式。冒頭の管弦楽が不気味でまた激しくもあるのに対し、一転して寂寥感すら感じさせる独奏ピアノの入りが印象的。

第2楽章:ロマンス、変ロ長調、2/2拍子。三部形式。ピアノ主体のやさしい雰囲気に挟まれて、ト短調の中間部では突如として通り雨のような激しさが襲ってくる。

第3楽章:アレグロ・アッサイ、ニ短調、2/2拍子。ロンド・ソナタ形式。激しく攻撃的な短調楽想で始まるが、最終的には長いコーダにおいて長調に転旋し、華々しく作品を閉じる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス

オーストリアの作曲家。クラシック音楽史上もっとも有名なオーストリアの天才作曲家、演奏家。35歳のその生涯の中であらゆるジャンルにおいてすべて一流の作品を大量に作曲した。古典派音楽の代表であり、ウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。

モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多い。これは当時の音楽の流行を反映したもので、ロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる。彼が主に使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分であり、非常に軽快に演奏できるものであったことがその作風にも影響を与えていると考えられる。短調作品は少ないながらも、悲壮かつ哀愁あふれる曲調となっている。モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて書かれたものである。モーツァルトの時代に限らず、何世紀もの間、芸術家は教皇や権力者などのパトロンに仕えることで生計を立てていた。モーツァルトの作品はその時代に要求された内容であり、たとえば長調の曲が多いのはそれだけ当時はその注文が多かったことの証でもある。実際、父の死後は依頼者のない作品が生まれている。これは、聴衆の嗜好に配慮せよとの父による規制が無くなったため、モーツァルト自身の目指す音楽に向かうことが可能になったからである。交響曲などがそれに当たる。思想的には、フリーメーソンがパトロンであったこともあり、その影響が指摘されている作品もある。

また、「下書きをしない天才」とも言われ、モーツァルトが非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられているが、自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されている。

演奏家解説 - 赤松 林太郎

神戸大学卒業後、パリ・エコール・ノルマル音楽院にてピアノと室内楽共に高等演奏家課程ディプロムを審査員満場一致で取得卒業。2000年に第3回クララ・シューマン国際ピアノコンクールで日本人初の上位入賞。その後もフランス、イタリア、スペインなど十指を超える国際コンクールで優勝や上位入賞を続ける。現在は年間60回以上の国内外での演奏活動を続けながら、全国各地で審査員、公開講座、指導なども務める。全日本ピアノ指導者協会正会員。2010年PTNA新人指導者賞、2012年PTNA指導者賞(特級グランプリなど輩出)。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より