ラフマニノフ 組曲 第1番 『幻想的絵画』 全楽章の動画集です。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
2台のピアノのための作品。ラフマニノフが20歳のとき(1893年)に作曲された。4曲から成り、それぞれが詩から得たインスピレーションを基に、絵画的に作曲された作品である。
1.バルカロール / Suite No.1 'Fantasie-tableaux' op.5-1 アレグレット ト短調。ロシアの詩人レールモントフの詩『ベネチア』の一節が引用されている。4分の3拍子でただよう波のような伴奏にのせて、高音部で甘く、悲しい旋律が始めは静かに、徐々に感情の高まりをみせながら歌われていく。
2.夜と愛と / Suite No.1 'Fantasie-tableaux' op.5-2 ニ長調。イギリスの詩人バイロンの詩が記されている。単音で奏でられる旋律と、アルペジオが甘いかけあいをみせながら、美しく曲がはじまる。旋律にそって上下に駆けまわる装飾的な音とともに音楽は徐々に高まりをみせていく。ナイチンゲールの鳴き声が印象的にきかれる。
3.涙 / Suite No.1 'Fantasie-tableaux' op.5-3 ラルゴ・ディ・モルト ト短調。全体を通して、下降する4つの4部音符が悲しげに、何度も奏される。ラフマニノフは幼少の頃から、故郷ノブゴロドの教会できかれる4つの鐘の音を悲しみの象徴として感じていた。そして、「この曲を考えている時に、その鐘の音がきこえてきた」と、ラフマニノフは後に語っている。曲は徐々に音量を増し、そして静かに曲を閉じる。ロシアの詩人チェッチェフの同名の詩が引用されている。
4.復活祭 / Suite No.1 'Fantasie-tableaux' op.5-4 アレグロ・マエストーソ ト短調。ロシアの詩人ホミャコフの同名の詩が引用されている。ロシア復活祭の聖歌や、鐘の音が印象的にきかれる。同じ音型をくりかえし重ねながら、主題が、力強く厚みのある響きをつくりだしていく。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
ロシアのピアニスト、作曲家、指揮者。苦学してモスクワ音楽院のピアノ科と作曲科を通常より1年早く卒業。特に作曲は大金章という最高成績を受けた。1892年、卒業後すぐに出版した前奏曲嬰ハ短調は、さっそく人気の作品となった。が、交響曲第1番の不評が原因で一時作曲を断念する。1902年、ピアノ協奏曲第2番を自ら初演して表舞台に返り咲き、劇場で指揮者を務めた後、06年にドレスデンに移ってからしばらくは作曲に専念した。09年に渡米、自作を演奏するピアニストとして名声を高めた。ロシア革命の混乱をかわしつつヨーロッパとアメリカで演奏活動を行い、20年代後半はヨーロッパにとどまろうと努力したが、31年にソヴィエト連邦の体制を批判したため、政府はかれの作品の上演を禁止した(これは2年ほどで解除された))。晩年は新たな戦争への危機感からアメリカへ戻った。
ラフマニノフはピアノ演奏、指揮、作曲のいずれにおいても成功を収めたが、すべてに同時に打ち込むことには困難を感じていた。後半生の演奏活動は作曲への集中力を妨げたのか、傑作は初期に多い。
ラフマニノフは、ピアノという楽器の可能性を最大限に引き出すことを追求しつづけた。 驚異的な演奏技術、人並みはずれた大きな手を持っていたと言われるが、自身のピアノ曲では技巧に終始するのではなく、哀愁や情熱を宿した美しい旋律を楽曲へと堅実に組み立てる方法を知っていた。チャイコフスキーを規範とし、あくまで長短調の枠にとどまって後期ロマン派の色彩と叙情性を継承している。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
日本のピアニスト。国立音楽大学を卒業、同大学院修了。これまでに国内のオーケストラと数多く共演。全国各地で演奏活動をする他、東京で定期的にソロ・リサイタルを行なっている。演奏活動の他、教育活動にも積極的で、全国各地にて演奏講座、レクチャーコンサート、学校の音楽鑑賞会での演奏等を行なっている。現在、玉川大学芸術学部准教授、国立音楽大学非常勤講師、甲府湯田高校特別講師、(社)全日本ピアノ指導者協会評議員。演奏研究委員およびコンペ全国大会審査員。(社)日本演奏連盟会員。2008年よりPTNA「国立プレリュードステーション」代表。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より