スクリャービン 練習曲Op.8-2 嬰ヘ短調 動画集 | Mボックス

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スクリャービン 練習曲Op.8-2 嬰ヘ短調 動画集

スクリャービン 練習曲 Op.8 第2曲 嬰ヘ短調の動画集です。

スクリャービン 練習曲 Op.8-2 嬰へ短調

スクリャービン 12の練習曲 作品8
第2曲 嬰ヘ短調

SCRIABIN 12 Etudes Op.8
No.2 in F sharp minor

スクリャービンの練習曲 Op.8-2 嬰ヘ短調です。
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アルバム収録曲一覧

1. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / 山崎 のぞみ

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調

PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - 山崎 のぞみ

日本のピアニスト。92年、国立音楽大学器楽学科、ピアノ専攻卒業。98年、全日本演奏家協会 新人オーディション合格。'04 第6回、万里の長城杯国際音楽コンクール、ピアノ部門優秀賞。'06 ロシアに渡航、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院マスタークラスピアノ科修了。'07 ドイツ・シュトゥットガルトに渡航、国立シュトゥットガルト音楽大学マスタークラスピアノ科修了。ピティナ指導者会員。全日本演奏家協会演奏会員。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / 桑原 怜子

音源: CD [The Piano Life] より 「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調

PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - 桑原 怜子

日本のピアニスト。桐朋女子高等学校音楽科卒業。ハンガリー国立リスト音楽院卒業。修士課程、演奏家資格取得。第7回 日本クラシック音楽コンクール 第2位、第6回 アントン・ルビンシュタイン国際ピアノコンクール第3位、第6回 ヨハネス・ブラームス国際音楽コンクール第1位。イタリア・ローマ国立音楽祭への出演など、日本・ヨーロッパで室内楽・ソロリサイタルに出演している。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

3. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / ソフロニツキー,ヴラディーミル

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PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - ソフロニツキー,ヴラディーミル

アレクサンドル・スクリャービンの信奉者にしてその演奏様式の継承者であり、その遺児エレーナと結婚した。妻エレナと初めて出逢った時にはスクリャービンは鬼籍に入っていたため、ソフロニツキーは公的にも私的にも、生前に岳父と知り合うことはなかった。しかしながらスクリャービン未亡人ヴェーラによって、スクリャービンの後期作品の最も正統的な演奏家として認められた。ソフロニツキーの演奏は、即興的でニュアンスに富んだ雰囲気と、軽く柔らかいタッチにおいてスクリャービン本人の演奏の特色を受け継いでおり、実際にソフロニツキーによるスクリャービン作品の録音は、比類ない演奏として多くから認められている。他にはショパンにも近親感を感じていたらしい。

4. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / アントン・クエルティ

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楽曲解説 - 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調

PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - アントン・クエルティ

オーストリア出身のピアノ奏者、作曲家。 ウィーンの生まれ。1944年にアメリカに移住し、ボストンでアーサー・ゴールドマンにピアノを師事した後、9歳でグリーグのピアノ協奏曲をボストン・ポップスのコンサートで弾いてデビューを飾った。

5. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / ポゴレリッチ,イーヴォ

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PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - ポゴレリッチ,イーヴォ

クロアチアのピアニスト。ユーゴスラビアの首都ベオグラード生まれ。1980年、22歳のとき当時43歳の師の女流奏者アリザ・ケゼラーゼと結婚したり、弱音指定の箇所を強打するなど型破りなことでも知られる。
1980年ショパンコンクールでは、ポゴレリッチが決勝に進めなかったことが大きな社会問題になり、逆に彼のを名を世界に知らしめた。

6. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / マガロフ,ニキタ

楽譜と共に

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楽曲解説 - 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調

PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - マガロフ,ニキタ

スイスやフランスを拠点に活躍した世界的ピアニスト。

7. 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調 / スクリャービン,アレクサンドル / ベレゾフスキー,ボリス

SCHWETZINGER FESTIVAL 2001

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楽曲解説 - 12の練習曲 作品8 第2曲 嬰ヘ短調

PTNA2001年/2021年F級課題曲

スクリャービンが22歳の時に書き始められ、翌年に完成した。この練習曲集は、ペテルブルグ音楽院の後援者であり音楽出版業者でもあるべリャーエフが出版をすすめた。この練習曲集の作曲にあたり、スクリャービンがショパンの練習曲集を意識して12曲で1つのまとまりをなすように構成したことが、べリャーエフにあてた手紙からわかっている。なお、ベリャーエフは、この作品を出版した後のスクリャービンの演奏旅行も企画している。実際にスクリャービンは、1895年にはドイツ、スイス、イタリア、ベルギーへ、1896年にはパリ、ブリュッセル、ベルリン、アムステルダム、ハーグ、ローマへ旅している。

第2曲目は、スクリャービンに特有のポリ・リズムの練習曲。5連符を基調としている。スクリャービンは、この曲のような3対5の数比を特に好んで用いた。テヌートやスタッカート、スラーなど、多様なタッチが求められる。30小節足らずで、演奏時間も約1分と短い曲ではあるが、曲が進むにつれ左手の音域が広がっていくなど、推進力の変化がみられる。なお、幅広い音域を扱う左手の分散和音は、右手を痛めたピアニストというスクリャービンならではの音形と見ることもできる。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - スクリャービン,アレクサンドル

ロシアの作曲家、ピアニスト。10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法を編み出した。1900年ごろから神智学に傾倒し「神秘和音」という独自の響きを用いた楽曲を作曲した。

音を聴くと色が見える「色聴感覚」保持者としても有名。

演奏家解説 - ベレゾフスキー,ボリス

モスクワ出身のロシアのピアニスト。1990年チャイコフスキーコンクールで第1位に輝き、演奏のキャリアが始まった。