チャイコフスキー 四季 2月 謝肉祭 動画集 | Mボックス

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チャイコフスキー 四季 2月 謝肉祭 動画集

チャイコフスキー 四季 2月 謝肉祭の動画集です。

チャイコフスキー 四季 2月 謝肉祭

チャイコフスキー 四季 作品37bis
2月 謝肉祭

TCHAIKOVSKY The Seasons Op.37bis
February : Carnival

チャイコフスキーの四季 2月 謝肉祭 Op.37bis-2です。
ロシアの一年の風物を各月ごとに描写した、全12曲のピアノ作品集です。
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アルバム収録曲一覧

1. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / メルジャーノフ,ヴィクトル

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楽曲解説 - 四季 2月 謝肉祭

PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - メルジャーノフ,ヴィクトル

ロシアのピアニスト・音楽教師。ソ連邦時代から半世紀以上にわたって現役で演奏・教育活動に取り組むロシア・ピアノ楽派の最長老であった。

2. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / オルガ・シェプス

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楽曲解説 - 四季 2月 謝肉祭

PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - オルガ・シェプス

ケルン音楽大学の教授でもある父親のイリヤ・シェプスにピアノを学び、6歳のときにドイツに移る。ケルン音楽・舞踊大学でパヴェル・ギリロフに師事。12歳のときから演奏活動を行っており、2007年、ルール・ピアノ・フェスティバルでデビューして以来、ドイツの著名な音楽祭に招かれ、ソリストとしてベルリン・フィルハーモニーほか世界有数の会場でリサイタルを開催。シュトゥットガルト放送交響楽団、ミュンヘン交響楽団、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団などの著名オーケストラと共演するほか、室内楽にも積極的に取り組んでいる。

3. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / リシッツァ,ヴァレンティーナ

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楽曲解説 - 四季 2月 謝肉祭

PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - リシッツァ,ヴァレンティーナ

ウクライナ生まれのピアニスト。現在、アメリカ合衆国に在住し、世界各地で演奏活動を行っている。夫のアレクセイ・クズネツォフもピアニストで、リシッツァとピアノデュオを演奏する。ベーゼンドルファー社製のピアノを愛用。

4. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / プレトニョフ,ミハイル

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PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - プレトニョフ,ミハイル

ロシアのピアニスト・指揮者。1978年にチャイコフスキー国際コンクールで金メダルを獲得し、国際的な注目を浴びるようになる。幅広いレパートリーを持つ。自分はヴィルトゥオーソではないとたびたび発言している。

5. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / トラブッコ,フランコ

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楽曲解説 - 四季 2月 謝肉祭

PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - トラブッコ,フランコ

イタリアのピアニスト。

6. 四季 2月 謝肉祭 / チャイコフスキー / アシュケナージ,ウラディーミル

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楽曲解説 - 四季 2月 謝肉祭

PTNA2011年E級課題曲

チャイコフスキーの「四季-12の性格的描写 Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques Op.37bis」〔1876年〕は、ペテルブルクの月刊誌『ヌウェリスト(小説家)』上で“連載”された作品で、12ヶ月に対応した12の小品から成ります。季節の自然のみならず、民衆の生活をも生き生きと描写したユニークな作品で、その音楽には、祖国ロシアの自然と人々を見つめるチャイコフスキーのあたたかな眼差しがつねに息づいています。

音楽は、心あたたまる家の中の情景(「1月 炉ばたで」)で始まり、祭のにぎわい(「2月 ロシアの謝肉祭」)とともに、春が訪れ自然が目覚めると、自然の情景とそれに付随した人々の心の動きが描写されます(「3月 ひばり雲雀の歌」「4月 待雪草」「5月 白夜」「6月 舟歌」)。続いて、自然と結びついた民衆の生活が描写されます(「7月 刈入れ人の歌」「8月 収穫」「9月 狩り」)が、秋を迎え自然は枯れていきます(「10月 秋の歌」)。再び冬が訪れ(「11月 トロイカに乗って」)人々は明るい気分で1年を終えます(「12月 クリスマス週間」)。各々の小品の表題は編集者が与えたものですが、チャイコフスキーは、これらの情景を、過ぎゆく季節をいとおしむように優しい音遣いでえがき出しています。ほとんどの曲が前の曲の近親調で始められており、余韻から翌月の音楽が浮かび上がるような効果が、1年を通じた大きな流れを感得させる所以となっています。なお、「四季」の各々の小品には詩が引用されており、聴き手が想像力をふくらませる一助となっています。



「2月 ロシアの謝肉祭」(ニ長調)では打楽器も加えた大編成のトゥッティで、人々のお祭り騒ぎが描かれます。息の長いcresc.が、遠くから近づいてくる行列を生き生きと描いています。



 ロシアの謝肉祭―2月

 もうすぐ 湧きあがるよ

 にぎやかな 謝肉祭の

 盛大な お祭り騒ぎが。  ―ヴャゼムスキィ



「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - チャイコフスキー

ロシアの作曲家。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属。卒業後、モスクワ音楽院の講師となった。1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で、傑作が生み出されて名声をもたらした。1880年代には皇帝一家との交流もあり、社会的地位を堅固なものとした。93年、交響曲第6番の初演直後に死去した。死因は一般的にはコレラとされているが、同性愛の発覚を恐れての自殺などという説もある。チャイコフスキー作品でよく知られているのは交響曲やバレエ音楽などの管弦楽作品が中心で、有名なピアノ曲は少ない。その中でピアノ協奏曲第1番は、このジャンル中有数の人気曲として極めて高い人気を持っている。「四季」や「子供のためのアルバム」などの小品集、「ドゥムカ」が比較的演奏頻度が高い。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - アシュケナージ,ウラディーミル

旧ソヴィエト連邦出身のピアニスト・指揮者。ヘブライ語の姓(「ドイツ人」の意)が示す通り父方はユダヤ系だが、母は非ユダヤ系のロシア人である。

1937年にロシアのゴーリキー生まれた。1955年にはワルシャワで開催されたショパン国際ピアノコンクールに出場し2位に輝いた。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。

最近はN響などの音楽監督(指揮者)としても活躍中だが、ピアニストしても現在でも一流の演奏家。