ハイドン ピアノソナタ イ長調 Hob.XVI:30 全楽章の動画集です。
第35回ピティナ コンペティション全国決勝 特級?
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
1774-1776年に作曲された。全2楽章から成る。
第1楽章のイ長調はアレグロの4分の2拍子。提示部の終結近くには、左右のユニゾンによる部分がある。展開部(第61小節~)ではまず第1主題が扱われる。また、提示部に見られた左右のユニゾンによる部分へは、フェルマータを経て続く。一方、再現部(第109小節~)では、左右のユニゾンによる部分の後にフェルマータを経て、4分の3拍子のアダージョによるコーダが奏される。このように、1つの楽章で拍子を変化させることは、ハイドンのピアノ・ソナタにおいては大胆な手法であると言える。
第2楽章は、テンポ・ディ・メヌエットで第1楽章と同じイ長調による。変奏曲の形で書かれており、全16小節の主題と6つの変奏から成る。尚、この楽章と前の楽章とは終止線ではなく複縦線で区切られており、小節番号も2つの楽章を通してふられている。従って、第1楽章のコーダにおける4分の3拍子への変化は、この楽章を予備するものであったと考えられる。主題は、メロディーにカンタービレと指示されており、各々8小節の前半と後半から成る。第1変奏では、右手のこのメロディーが主としてリズム変奏される。第2変奏では、左手の上声にメロディーが移る。第3変奏では、メロディーが右手に戻るが、左右共に音階的な音の動きに基づいており、メロディーの原形の輪郭がかなり変わっていると言える。第4変奏は3声で書かれており、メロディーの原型は主として右手の上声ないしは下声に見られる。第5変奏では、メロディーがアルペジオで扱われる。そして、締めくくりの第6変奏では、主題の前半と後半が各々2回ずつ提示され、先立つ変奏よりも、主題の輪郭に近い形で再現される。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアの作曲家。古典派を代表するオーストリアの作曲家。たくさんの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。弦楽四重奏曲第77番第2楽章にも用いられた皇帝讃歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律は、現在ドイツの国歌として用いられている。
日本のピアニスト。東京藝術大学器楽科に在学中。2006年8月ピティナ・ピアノコンペティション全国決勝大会F級銀賞受賞。2006年12月日本クラシック音楽コンクールピアノ部門中学生の部全国大会第2位(最高位)。2008年11月第62回全日本学生音楽コンクールピアノ部門高校生の部全国大会第1位受賞。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
1774-1776年に作曲された。全2楽章から成る。
第1楽章のイ長調はアレグロの4分の2拍子。提示部の終結近くには、左右のユニゾンによる部分がある。展開部(第61小節~)ではまず第1主題が扱われる。また、提示部に見られた左右のユニゾンによる部分へは、フェルマータを経て続く。一方、再現部(第109小節~)では、左右のユニゾンによる部分の後にフェルマータを経て、4分の3拍子のアダージョによるコーダが奏される。このように、1つの楽章で拍子を変化させることは、ハイドンのピアノ・ソナタにおいては大胆な手法であると言える。
第2楽章は、テンポ・ディ・メヌエットで第1楽章と同じイ長調による。変奏曲の形で書かれており、全16小節の主題と6つの変奏から成る。尚、この楽章と前の楽章とは終止線ではなく複縦線で区切られており、小節番号も2つの楽章を通してふられている。従って、第1楽章のコーダにおける4分の3拍子への変化は、この楽章を予備するものであったと考えられる。主題は、メロディーにカンタービレと指示されており、各々8小節の前半と後半から成る。第1変奏では、右手のこのメロディーが主としてリズム変奏される。第2変奏では、左手の上声にメロディーが移る。第3変奏では、メロディーが右手に戻るが、左右共に音階的な音の動きに基づいており、メロディーの原形の輪郭がかなり変わっていると言える。第4変奏は3声で書かれており、メロディーの原型は主として右手の上声ないしは下声に見られる。第5変奏では、メロディーがアルペジオで扱われる。そして、締めくくりの第6変奏では、主題の前半と後半が各々2回ずつ提示され、先立つ変奏よりも、主題の輪郭に近い形で再現される。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より
オーストリアの作曲家。古典派を代表するオーストリアの作曲家。たくさんの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。弦楽四重奏曲第77番第2楽章にも用いられた皇帝讃歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律は、現在ドイツの国歌として用いられている。
ロシアのピアニスト。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽大学に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でピアノ協奏曲を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮する。現在若手ピアニストの中では一番の人気と実力を誇る。