ラヴェル ソナチネ 全楽章 動画集 | Mボックス

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ラヴェル ソナチネ 全楽章 動画集

ラヴェル ソナチネ 全楽章の動画集です。

ラヴェル ソナチネ 全楽章

ラヴェル ソナチネ M.40 全楽章

RAVEL Sonatine M.40 All movements

ラヴェルのソナチネ 全3楽章です。
ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために作曲した作品です。
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アルバム収録曲一覧

1. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 金田 真理子

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 金田 真理子

日本のピアニスト。パリ国立高等音楽院をプルミエプリを取って卒業。マネス音楽院で修士号を、博士号をニューヨーク市立大学大学院で取得。
モントリオール国際ピアノコンクール、マリア・カナルス国際ピアノコンクールに入賞。国内外で交響楽団戸の共演、リサイタルを行う。また、室内楽奏者としても活発に活動。
2004年オハイオ・ウェズレヤン大学准教授に就任。ピティナ正会員。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

2. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 大導寺 錬太郎

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 大導寺 錬太郎

日本のピアニスト。東京芸術大学卒、同大学院修士課程修了。リクエストによるトーク付きコンサート、リサイタルを数箇所で開催、現代曲や室内楽にも力を入れている。
現在、(社)PTNA正会員、東京ミュージック&メディアアーツ尚美、山村学園短大及び埼玉県立大宮光陵高校非常勤講師。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

3. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 佐野 隆哉

ピティナ・ピアノ曲事典|第24回公開録音コンサート 2012年5月20日 東音ホール
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 佐野 隆哉

日本のピアニスト。東京芸術大学を経て、同大学院修士課程修了。パリ国立高等音楽院第三課程研究科を修了。同音楽院室内楽科を審査員満場一致の最優秀にて修了。在学中より、第72回日本音楽コンクール・ピアノ部門第2位、2009年第66回ロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門第5位入賞、第16回ショパン国際ピアノコンクールにてディプロマを受賞など国内外のコンクールで入賞を果たす。。内外のオーケストラとの共演を始め、多数のリサイタルや演奏会に出演するなど、これまでにフランスを始めとするヨーロッパ各地で演奏活動を行っている。現在、演奏活動の傍ら、東京芸術大学及び国立音楽大学にて、後進の指導にもあたっている。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

4. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 栗原 麻樹

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 栗原 麻樹

日本のピアニスト。パリコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)・パリエコールノルマル音楽院の最高課程を修了後、現在パリスコラカントルム音楽院に在籍中。国内外で数多くのリサイタルを開催し、好評を博す。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

5. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 宇宿 真紀子

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ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - 宇宿 真紀子

日本のピアニスト。コルマール・コンセルバトワールを審査員満場一致の1位で卒業後、パリ高等音楽院に入学。2001年からは、日本でも毎年弟とジョイントリサイタルを行い、いずれも好評を博している。パリ高等音楽院とルエイユ・マルメゾン音楽院の大学院課程を首席で卒業後、ヨーロッパのみならずロシアでも演奏活動を行っている。
これまでに、2000年、ニコライ・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール3位、2001年、レ・クレ・ドール・コンクール2位、2003年パリ室内楽国際コンクール3位。
「ピティナ・ピアノ曲事典」より

6. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / 演奏者不明

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

7. ソナチネ 全楽章 / ラヴェル,モーリス / ラローチャ,アリシア・デ

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楽曲解説 - ソナチネ 全楽章

ラヴェルが音楽雑誌主催の作曲コンクールのために書いた曲で、小節数の規定のため小規模な作品となっている。しかしどれもが魅力的な旋律で繊細な響きをふんだんに用いながらも、古典的形式に則っていて簡潔にまとめられ、実に見事な完成度を誇るソナチネと言えよう。曲は3楽章構成だが、第1楽章第1主題が第2、3楽章にも和声やリズムを変形しながら登場し、循環主題風に扱われている。作曲当時から大好評を博し、ラヴェルの名前を広めた1曲でもある。

第1楽章 中庸の速さで。繊細な輝きを持つメロディーが叙情的に歌われながら、簡潔なソナタ形式に見事にまとめられている。

第2楽章 メヌエット。トリオのないメヌエット。優美で可憐な旋律が、無駄のない和声上を流れていく。結びには、ラヴェル自身が「踊りのあとのお辞儀」と言った部分が現われる。

第3楽章 生き生きと。自由なロンド形式で書かれ、快活なパッセージが活躍する。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

作曲家解説 - ラヴェル,モーリス

ドビュッシーと並び近代フランスを代表する作曲家。スペイン国境近くのバスク地方シブールに生まれる。母親はバスク人。パリ音楽院では(1889-1901)、ベリオにピアノを、ジェダルジュに対位法を、フォーレに作曲を学ぶ。 ローマ賞は二等が最高で、大賞を目指して受験を続けるものの、1905年には受験資格なしと判断される。この結果への抗議が殺到し、当時のパリ音楽院院長デュボワは、辞任に追い込まれる事態となった。1910年にはケクラン、カプレ、ロジェ・デュカスらと独立音楽協会(SMI)を立ち上げた。彼らは皆、ドビュッシーの音楽を尊敬し、その影響を受けた前衛たちだった。一方でラヴェルの音楽は、古いものにただ反抗するという性質のものではなく、古典やロマン派の音楽からも多くを学び、取り入れている。

各ジャンルに傑作を残しているが、バレエ音楽を中心とする管弦楽の分野でとりわけ突出した才能を発揮した。ピアノ作品にも管弦楽書法が応用されているため難曲が多いが、全ピアノ作品を聴くと、ラヴェルの音楽的インスピレーションを概観できる。 古典形式や舞曲(そしてリズム)への敬意、お伽話のような子供の世界、印象派/象徴派にも通じる自然や幻想世界の表現、そしてロシアやスペイン、東洋などの異国情緒。こうした彼の音楽は、ユーモア、洒脱さ、優雅さ、洗練といった、フランス音楽のイメージ通りの特徴の中にも、どこかしら哀愁が漂い、多くの人に愛され続ける独特の世界を作り上げている。

「ピティナ・ピアノ曲事典」より

演奏家解説 - ラローチャ,アリシア・デ

スペインのピアニストで、20世紀を代表するピアニストの一人。スペイン・ピアノ界の長老として幼少期から約70年にわたって長いキャリアを誇っていた。19世紀から20世紀のスペインのピアノ曲の専門家として一般的には有名。